ABOUT SONG

ABOUT SONG

I will write about Song.
We dance by not only Jiuta but also Hauta and Kamigatauta.
I could not recognize what is a difference between Jiuta and Kamigatauta at first. But several years after, I became to feel the difference. If the song is short, it might be Hauta...
I want to know how to recognize clearly.

2014-3-15

About "Neya-no-Ougi"

About "Neya-no-Ougi"

Do you feel "Neya-no-Oogi", cheerful or gloomy?

"Neya-no-Oogi(The fan in Neya) is emptiness. The suffering not to see him is hard. But the suffering when we part is more. I was left as fan in autumn. What shall I do..?
"
What is Neya? It was write as bedroom. I feel some amorous thing. To what they use the fan in bedroom? It will be left in autumn, so they use the fan to cool off, I guess.
From the lyrics I feel the sadness of the lady who was left alone. But as I read the continue lyrics....

"What do you think? The main point (of fan) is important not to sway. Yes, I think so. Everyone's hearts are to move. As invited the flow of water, men's cheating heart response the sound of the bell in the town, you feel nervous, I know. I want to talk with you tonight, but it's difficult...I shall not tell... I shall not say...I can't help...You have been desired to go, haven't you? I see, I see, How damnable this bad man's face is. Oh, I hate you. I hate you."

I image a lady turnes sulky cutely rather than bitter words. Because it will be continue " I will not change my heart whoever approach to me. I feel cheer up when I hear the sound of harp you play."
What...? The weakness that you love.

I thought this song is gloomy when I lesson several years ago.
But, now I notice the cheerful of this song. Because of my matureness? I don't think so. Perhaps, I have become to consider the meening of the choreography. In this song, we dance as slapping man "Bashi-bashi!". If we slap like demon, it seems gory. Slap cutely will be better. It's lover's quarrel, I think.
My longing to this cuteness makes me think so.

2014-3-15

About "Utata-ne" of "Kage-boshi"

About "Utata-ne" of "Kage-boshi"

"Utata-ne" is sleep carelessly?

The Song “Kage-Boshi” begins “Hey, Listen to it, The sound of the bell in the rainy night, they come together in “Oki-Kotatsu”(small heater, futon over the brazier) because of cold, carelessly, dozing, short sleep, awake small shock with the dream, and face each other dreamily.

This Song was recorded in 1871 first (according to “Nihon buyokyoku-shusei 2 kyoumai and kamigatamai hen), “Oki-Kotatsu “in that days has no table and za-buton seize and it was smaller than “Kotasu” in nowadays. We can see in pictures. They have short sleep in it.

I thought that it is natutal that we become sleepy with warm.
But, “Utata-ne” (short sleep) not solely means falling in sleep carelessly.

“Utata-ne” in chenese character is “fall-sleep”( or ”roll–sleep”).
In TV which I watched accidentaly, they saed that “Utata-ne” relate with love.

There is famous “Waka” ( classic Japanese poem) composed by “Ono-no-komachi” (synomym for a beauty in 9th to 10th century).
“Since I dreamed with lovely man in my “Utata-ne”(short sleep), I became to dream to see him.”
By this poem, our previous generation are reminded love by “Utata-ne” (short sleep).
I confirmed to the person who was borned in around 1930, she said with surpirse “Aren’t you?”

I am sorry I missed my memo, so I can’t remember the TV Show’s name.

Anyway, this song began with love mood softly, doesn’t it.
Let me take a step back, it sound nice “face each other dreamily”.

“dreamily”….sounds good.



2014-3-15

日本の歌の歌詞について

日本の歌の歌詞について

言葉かメロディか
小学生の頃、塾の先生に「詩には『好き』とか『嬉しい』とか『悲しい』とか『淋しい』などの直接的な言葉は書いてはいけない。他の言葉で気持ちを表現しなければ伝わらない。」と言われたことがあります。その言葉がずっと心に残っていて、詩歌に限らず流行歌の歌詞にあてはめて考えたりしています。
確かに、『悲しい』と一言いってしまえば済んでしまうのですが、どう悲しいのか丼が大きすぎてかえって伝わりにくいかもしれません。一言では表現できないからこそ纏まった文章の『詩』にするのでしょう。

テレビ情報なのですがNHKの「COOL JAPAN」でイタリア人の女性が日本の歌の特殊性として「歌詞の多様な表現で歌の世界が広がること」を挙げていらっしゃいました。イタリアでは特定の表現が繰り返されることが多いそうです。また、フィリピンの方は「『ダイヤル廻して手をとめた』とかそういう表現には『あなたに会いたい』以上の意味が含まれているところがいい」と発言なさっていました。

なるほど、日本語の表現の豊かさは、言葉を用いてより微妙な表現をしてきた証かもしれません。
逆をいえば、西洋では言葉よりも表情やジェスチャーなど言葉以外の要素で表現をしてきたといえるのでしょう。陸続きで言葉の通じない人々と遭遇する機会が多かったせいかもしれません。
とすると、西洋の音楽表現もメロディーがまずあって、そこに言葉を添えたもの、なのかもしれないですね。
若い頃、アナウンスのアルバイトをしていたことがあり、局を定年退職なさったフリーアナウンサーの方に個人指導を受けていたことがありました。「夕焼け小焼けの赤蜻蛉」という原稿を読んだときに『あかとんぼ』を「あカトんぼ」と、カとトを高く読んで注意されました。先生は「アかとんぼ」で「ア」を高く読むのだというのです。怪訝な顔の私に更に仰いました。「歌ってごらんなさい。『ゆうや~け、こやけ~の、アかと~ん~ぼ~』でしょ?」と。歌は関係ないと思ったのを感じ取られたのでしょうね。「歌はね、言葉に合せて節がついているのだから、歌の音階の通りに読めば間違いないのだよ」と。結局その後、NHK発行のアクセント辞典を開いて決着はついたのですが、その説明にはず~っと違和感を感じていました。
が、最近思うのは、昔の日本の歌は確かに言葉にメロディがついたのかもしれない、ということです。
和歌もお正月の歌会始などを見ていると、どの和歌も同じような節で歌われています。
お能の謡もメロディアスというよりは、言葉に節がついたような印象です。
琵琶法師も琵琶を片手に平家物語を語り歩き、その後の義太夫節系統の音楽は「語り物」と言われて語りと歌は密接な関係にあります。実際に素浄瑠璃を聴いているとセリフのような部分からト書きのような部分そして歌うような節のついた部分が実に自然に流れるように移り変わり、それが物語の雰囲気をいか様にも操っています。
メロディに歌詞がついたものも多数あるとは思いますが、そんなことを考えてみると「ずいずいずっころばし」「おせんべ焼けたかな」などのわらべ唄など、やはり日本の音楽には言葉が重要な役割を持っていることは確かなのではないかと思うのです。

「きんぎょ~え~、きんぎょ~」「棹や~さおだけ~」「しゅっぱぁ~つ、しんこ~」「○○ちゃ~ん、あそびましょ~」最近はあまり聞きませんが、以前は言葉に節をつけて歌うような声が町に溢れていましたよね。
今は歌の種類もずいぶん多様化していますが、「歌詞の多様な表現」に言葉が大切にされてきた名残りがあるのかもしれませんね。


で、地唄の詞章についてですが、よく意味がわからない、と言われますが、ちょっと長くなったのでその話題は次の機会にお話したいと思います。

長々とお付合い下さいまして有難うございました。

節をつけた言葉、「やっとこ、どっこい、うっとこなぁ~」とかって好きなんですけど。古過ぎますかね。

2014-3-23

曲の詞章の説明について

曲の詞章の説明について

わかりにくいからこそ広がる世界

舞の会にいらした何人かのお客様に「歌詞の意味がよく分らない。ちゃんと説明した方がいい」と言われて困ってしまったことがあります。

うーん、説明・・・。
これが案外難しいのです。

例えば、「雪」(関西風にユキのユを高く読みます)。
「花も雪も 払えば清き袂かな ほんに昔のむかしのことよ わが待つ人も吾を待ちけん 鴛鴦(おし)の雄鳥にもの思い羽の 凍る衾(ふすま)に鳴く音はさぞな さなきだに 心も遠き夜半の鐘 聞くも淋しき一人寝の 枕に響く霰の音も もしやといっそせきかねて 落つる涙の氷柱(つらら)より 辛き命は惜しからねども 恋しき人は罪深く 思わぬことの悲しさに 捨てた憂き 捨てた浮世の山かずら」
ちょっと長いですが、平成5年の第71回国立劇場主催の舞の会のパンフから抜粋しました。

この女性はどんな女性でしょう?
昔の恋しい人を想っている。どんな人が、どんな気持ちで、どんな風に?
「捨てた浮世」とあるので、出家した尼さんと考えることもできます。では、なぜ尼になったのか、男に捨てられた尼になったのか。(それなら恋しい人との思い出はちょっと前のことですよね。)それとも、あれから何十年、ふと雪を見て思い出したのか。仏門に入って暫く経った人なのか、今しも仏門に入ろうという人が半生を振り返ったのか。
また、霰の音を恋しい人の訪れる音に聞こえて「もしや(あの人ではないか)といっそせきかね」たのは、今なのか、過去の思い出の中なのか。
この人は、恋しい人を諦めきれずにいるのか、それともすっきりした気持ちで想い出を大事にしているのか・・・。

あなたはこの詞章からどんな女性を思い描いたでしょうか。

ちょっと専門家の方の説明を抜粋してみます。

「大阪南地の芸妓そせきが恋する男に捨てられて尼となり、悟りに至る心境の中で、やはり昔の思い出を捨てかねている、というのが歌の主意。」(日本舞踊辞典)
「世の無常に悟りを得たかに見えながら、やはりすてたと思った浮世への未練はたち切れないのです。」(沼艸雨S44国立劇場舞の会パンフより)
「華やかだったこし方を思い、黒髪を切って今浮世に別れ仏門に入らんとする澄み切った女性の心情を艶冶に舞う曲で、悟りの中にも艶があり、それが雪の冷たさと女の情念の激しさとの対比の中に描かれている。」(矢野輝雄S57ひで女舞の会パンフより)
「尼になった女が、昔の恋を思い出しています。楽しかった日々もありながら、愛しい人は自分を捨てて去って行った、その辛さに耐えられず、浮世を逃れて仏門に帰依したのだが・・・やはり、昔の恋は忘れられないといったことでしょうか。」(廓正子H20国立劇場舞の会パンフより)

答えは一つじゃないのですね。
要は舞い手も観る人もそれぞれの受け取り方でいいのではないか、ということです。

ですから、なるべく観る方の想像する楽しみ、世界が広がって行く醍醐味を損なわない程度の説明にとどめなければならないのですが、そこの塩梅がなかなか・・・

ましてや私自身、わからない詞章がたくさんあるし。

でもね、この前、以前録画したビデオを見直していて、こんな会話にはっとしたんです。

(平成5年 NHK「芸能花舞台」 渡辺保、大岡信の対談(「渡辺保の部屋」にて)(敬称略))
渡辺保「能の詞章もよくわからないんですけれども、地唄舞っていうのは詞章が・・・」
大岡信「地唄舞はわけわかんないところありますよ。(略)地唄の全集とかよくでてますね。で、解説者がね「よくわからない」とか書いてあってね。安心しました。」

私もこれを聞いてとっても安心しました。

渡辺「僕は(略)地唄舞っていうのは拝見してると、ある突然、ある単語だけがぴゅっと響いてくる。それぞれの単語の向うに何かあるなってことが観客にわかる。そうするとその事を探っていく面白さっていうのも僕はあるような気がするんですね。」
大岡信「あるんですね。だから一回だけ観ただけじゃ駄目なんですね。多分ね。二回観ると随分違いますね。で、二、三回観るとね、その度にこないだと違ってるなと思うと、どうして?ってこう考える。(略)で、言葉もきいているうちにだんだん少しづつわかってきますからね。」

この会話を聞いて、詞章がわからなくっても大丈夫なんだ、と安心すると同時に、やっぱり下手に解説しない方がいいかな、なんて思うわけです。

その時々で、感じ方が変わる。
舞い手の心の違いもあり、勿論振りの違いもあり、地方さんの心、唄や三絃の音色の違いもあり、そして観る方自身の心境の違いもある・・・
そんなゆるりとした事物の中で唯一変わらない「詞章」。

どうにでもとれるからこそ、面白いんじゃないか、と思うのです。


やっぱり・・・・手抜きかなぁ・・・。

2014-4-13

「こすの戸」の解釈について

「こすの戸」の解釈について

いろいろな解釈ができるのも「地唄舞」の楽しみ


先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「こすの戸」についてちょっとご説明させて頂きます。

「こすの戸」は「小簾の戸」とも「古簾の戸」とも書くことがありますが、「簾」がミスやスダレを意味している通り、「簾戸」のことです。万葉集の時代は「オス」と読まれ、鎌倉時代には源実朝の歌に「コス」とみられ、1603年の「日葡辞書」にもCosu-Sudare(コス-スダレ)とあるので、「小簾の戸」の漢字をあてるのがよいのかもしれませんが、「古簾の戸」の醸し出す雰囲気も捨てがたいですね。
で、「簾戸」は何かというと、竹や葭で風通しを良くしてある戸です。昔は家の中の建具も季節によって取りかえていました。今でもやっているお宅はあるかと思いますが、夏になると襖や障子戸を外して簾戸や御簾にして風の出入りをよくするのです。

なので、「こすの戸」は勿論、夏の曲です。
詞章は「浮草は思案の外(ほか)の誘ふ水 恋が浮世か浮世が恋か ちょっと聞きたい松の風 問へど答へず山時鳥 月やはもののやるせなき 癪に嬉しき男の力 じっと手に手を何にも云はず、二人して釣る蚊帳の紐。」です。

「浮草は思案の外(ほか)の誘ふ水」
ここは古今和歌集におさめられている小野小町の和歌
「わびぬれば身を浮草の根を絶えて 誘う水あらば去(い)なむとぞ思う」というものをふまえていると考えられます。
小野小町は六歌仙(六人の和歌の名人)の一人でしたが、この歌は同じく六歌仙の一人であります文屋康秀が三河の国司になった折に、三河に小野小町を誘った和歌に対する返歌で、「淋しいので、根がない浮草のような私ですから、誘って下さる方がいらっしゃったら行ってしまおうかしら」というような内容です。

そして次の詞章が「恋が浮世か浮世が恋か」
浮草のような私がいるこの浮世はいったい恋が全てなのかしら。

「ちょっと聞きたい松の風 問へど答へず山時鳥」
松の風にきいてもわからない。 ほととぎすにきいてもわからない。

「月やはもののやるせなき」
月が私を物思いにさせるのかしら。
ここは、百人一首におさめられている有名な西行法師の和歌
「嘆けとて月はや物を思はする かこち顔なるわが涙かな」を踏まえていると考えられます。
嘆けといって月が私を物思いにさせるのだろうか。そんなことにかこつけて私の顔は涙に濡れている。

そして「癪に嬉しき男の力」
ここで場面が変るんですね。男性がいるのです。
癪をおこすと介抱してくれる男性の力が頼もしい、ということです。
癪はお分かりでしょうか?今でいう胃痙攣のようなもののようですが、遊女などが嫌な客を断ったりする化病の道具として使われている場面をお芝居などでよく目にします。

最後が「じっと手に手を何にも云はず、二人して釣る蚊帳の紐。」
もう何も言わなくてもおわかりかと思います。蚊帳の紐を部屋の四隅にある金具に掛けて・・・。

ということで、最初女性は物思いに沈んでいます。そして最後は男性と蚊帳の紐をかけているハッピーエンド。この骨格はしっかりしています。
では、この女性はなぜ物思いに沈んでいるのか、最後の男性は誰なのか。
この肉付けの部分が解釈になります。

この解釈によって同じ曲でも様々な世界が展開されるのです。

ちなみに・・私の解釈を申上げますね。
思うに、この女性は好きな男性がいてその人が全然会いに来てくれない。
あぁ、もうこんな身の上ですもの、誰か誘ってくれたらついていってしまおうかしら・・でもそうもいかない。
松の風は、松籟ともいいますけど、人の声に聞こえますから、つい相談してみたくなります。
あの人はどうして来てくれないの?いつ来るの?
ほととぎす、お前は山を飛び回っているから知っているのだろう?あの人はどうしているの?来てくれるの?・・・答えてはくれない。
あぁ、月が出た。今夜も来てくれないのかしら・・
そこへ男性が現れる。
あぁん、もう、どうして来てくれなかったの?仮病の癪を起します。アイタタタ・・・
「大丈夫かい?」なんて介抱して貰って、男性に甘える・・という女性

でも、違う解釈も勿論可能なんです。
例えば、思いもよらない人に誘われて、この人になびこうかどうしようか・・
いや待てよ、後でもっと素敵な人に出会えるかもしれない・・どーしよー
松風に相談しますが、わからない。
ほととぎすに相談してもわからない。
月がでて、月ってなんかセンチメンタルになっちゃうわ。
そこで癪がおきます。アイタタタ・・
「大丈夫ですか?」と介抱してくれる男性が何だか頼もしく思えて、あら、この人、いいかも・・
という解釈もできるんです。

もっと違う解釈もできると思います。

振付師の解釈が振付に影響して、それをふまえて舞い手の解釈がなされてそれが表現に影響して、そして演奏家の解釈が息や音色、間(ま)に影響し、そしてそれをまた舞い手が感じとってお互いに即興にやりとりをする。
更に、鑑賞なさる方のその時々の感じ方、受取り方次第の部分もあります。

その組み合わせによって同じものには二度と出会えない、まさに一期一会のものなのです。

ですから、前回の話題でも触れましたが、私としては先入観を押し付けたくないのであえて説明は最小限にとどめるようにしています。詞章だけを頼りにして頂いて、耳をよぎる言葉と音色の雰囲気と目の前の動きからイメージを膨らませて頂いて御自身の世界をつくって楽しんで頂けたらいいかなぁ、と思っています。

こんなお話を先日の7月11日の鑑賞・体験教室でお話させていただきました。
次の鑑賞曲は「残月」です。どんなお話ができるか・・うーん、悩ましいっ。

2014-7-20

「残月」と「秋の夜」について

「残月」と「秋の夜」について

月にまつわる二曲の違い

先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「残月」と「秋の夜」。この二曲、共に月を眺めて物思いに沈むのですが、結構違う内容なのでそこをご説明したいと思います。

「残月」は亡くなった方を偲ぶ、いわゆる追善曲です。
詞章に「覚めて真如の明らけき 月の都に住むやらん」とあります。
この真如というのは、仏教でいう「決して変わらない真理、真実」のことをいいます。
よく真如の月といいますが、それは月の光で闇が照らされることに真如によって一切の悩みが晴れることをなぞらえた言葉です。
「残月」では「真如の月」と直接いってはいませんが、「覚めて真如の明けらけき 月の」という具合にそれを匂わせています。

また、詞章の冒頭は「磯辺の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の 光や夢の世を早う」で始ります。「世を早う」ですから夭折なさったということですね。
実際にこの曲は、作曲者の峰崎勾当が愛弟子が亡くなった一周忌に作曲したともいわれていますし、また、大阪宗右衛門町の松屋某の娘が若くして亡くなったことを悼んで作られたとも言われています。松屋某の娘の戒名は「残月信女」だったことから、その場合題名が「残月」になり、「真如」と「信女」がかけられている、と考えられます。
いずれにしても、実際に亡くなった方のために作られたというところは間違いないようです。

ですのでこの曲はストーリーがあるわけではなくて、全くの詩で、より抽象的、普遍的な世界を持っています。

また、「残月」は地唄ですが、手事という唄の無い三絃だけの部分がとても長い曲です。全部演奏すると20分、舞は手事を端折っていますが10分以上はかかります。そのせいでしょうか、各流比較的近年に振付けられたものが多く、今回ご鑑賞いただいたのも師「閑崎ひで女」が昭和46年に振付けたものです。そのくらいになりますと、舞が披露される場所として舞台が中心になってきていますから、当然振付も舞台向きとなっていて、照明などの灯りや御覧になる方との距離感のとり方、目線などが座敷向きの古い舞とは大きく異なります。

反面、「秋の夜」の振付は師「閑崎ひで女」の師匠であった「山村たか」の師匠であった「山村春」という方によるものですから、だいたい明治期後半頃のものではないかと思います。その頃は舞は座敷で披露されるのが中心で、広い場所で披露されることがあっても大広間の座敷という形が通常だった時代のものですから、目線や振付が舞台向きの物とは違います。

例えば、「月」ですが、
「残月」では、舞い手自身が「月を見」たり、「月を指差し」たりして観る方に月をイメージして頂くのですが、「秋の夜」では、勿論月も見ますが、手で大きな円を描いて観る方に満月をイメージして頂くようなことをします。現代の振付よりもより具体的な表現が多いという特徴があり、逆に現代のものはより抽象的な振付が多い傾向があるように思います。

また、「秋の夜」は上方端唄です。いわゆる流行唄のほんの5分位の軽い曲です。ですから、人が亡くなったというような重い話ではなく、好きな人が会いに来ないというような軽い気持を表すものです。

例えば、指で年月日を数える振りですが、
「残月」では指で「3つ」数えます。
(「3」という数字にそんなに意味があるわけではなく、まぁ、沢山という意味なのでしょうけれど、)その3の後にどんな単位がつくのか。3日では、まだ亡くなったことすら受け入れられないでしょうから、きっと3年くらいのニュアンスなのではないかと思います。
「秋の夜」でも指で「3つ」数えます。
これが3年だったら、3年も会いに来ないならもう脈なんか無いわけですから諦めた方がいいわけで、3か月来ないのもかなり深刻、まぁ、3日程度がいいところではないかと思います。
いい感じになりそうな彼が3日会いに来ない、遊びか本気かどっちだろう、とヤキモキしている感じがしますね。

という具合で、「月」を見て物思いに沈むのでもいろいろあるんだなぁ、というところを面白がって頂けると嬉しいです。

ホントは先に曲が決ってしまって、「あー似たような二曲になってしまった。解説どうしよー」と悩んでいてふと気付いた違いなのですが・・・15分間解説できてよかったです。

2014-11-15

「黒髪」について

「黒髪」について

黒で始まり、白で終わる


先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「黒髪」について、解説させて頂いた内容を一部ご紹介したいと思います。

冒頭に「黒髪の 結ぼほれたる思ひをば」と唄われます。
この「結ぼほれたる」というのは「結ぼおれたる」と読みますが、からみ合って解けなくなること、です。ですから、「黒髪がこんがらがるように、絡みあって解けなくなってしまった思いを」という感じの意味になります。

「解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕」と続きます。
仇枕というのは唄によく出てくる言葉ですけれども「仇」というのは悔しさや恨めしさを意味します。ですので、枕さえも恨めしく思えるという感じでしょうか。

そして、「袖は片敷く夫(つま)ぢゃというて」ですが、この「片敷く」はつまり、独り寝を意味します。
江戸時代頃までは着物に綿をいれて布団のように使っていたので、男女が共寝する時には「袖交わす」といいまして互いの袖を敷き合いして寝ていたのです。ですが、独り寝だと自分の袖しか敷く袖がないわけです。かなり独りが身に沁みる風習だったわけです。
ちなみに、今の四角い布団が広まったのは宝暦年間以降のことで、着物の形は作るのに手間がかかるということで関西の商人が、四角くして今の布団の形にして売り出したところ、安くて仕舞い易いということから広まったといわれています。

そして「夫(つま)」ですが、いまは「つま」というと女性を指しますが、以前は男女関係なく連れ合い、パートナーのことを指したのです。古くはどちらかというと男性を指していた場合が多いようで、この曲の場合も男性を指しています。

「愚痴な女の心も知らで しんと更けたる鐘の声」
これはいわゆる時の鐘です。昔は不定時法で日がでている間、沈んでいる間をそれぞれ6つに割っていましたので、日の長さによって一刻がずれるのですが、逆に日の出・日の入りの時間は明六つ、暮六つという感じでだいたい同じでしたので、夜になってからどれ位経ったのか、夜が明けるまであとどれくらいなのか、がわかり易かったのです。ですから、「鐘の声」という言葉には「ああ、こんな時間になってしまったからもう来ないかも」とか「ああ、もうこんな時間だから、もうすぐお別れだわ」とかそいういう気持ちが含まれているわけです。


また、振付の解釈ですが、
座って3つ指で数えて、アレと見直す振りが舞にはよく出て来ますが、これは畳算をしているところを表しています。畳算は何かというと、占いです。
簪とかを投げて、その落ちたところからヘリまでの畳の目の数を数えて「来る」「来ない」とかを占うのです。(落ちた向きで占ったり、「いつごろ来るか」を占ったりもするそうです。)
女性が占いをするときというのは、大概がもうそのことで頭いっぱいで何にも手につかないという状態ですよね。
そのあと簪を抜いて頭を掻くフリなんかもありますけど、これも手持ち無沙汰でやるせない感じを表しているのだと思います。

そして、言葉や振付の大体の意味をおわかり頂いたところで、内容の解釈の話ですが、詞章から解釈をしようとすると、大きく分けて二つの意味に解釈できます。
一つは、恋人が帰った後一人ぼっちになった女性、もう一つは、来なくなってしまった恋人想っている女性です。

「黒髪の 結ぼほれたる思ひをば  解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕」

この部分を、恋人が帰った後、と考えると「黒髪のように絡まってほどけなくなったように思えたあの人とのわだかまりも打ち解けて、共寝をする夜は楽しいけれど、今は独り寝仇枕」となります。

また、恋人が来なくなった状況だとすると「黒髪が絡まってほどけなくなったように、私達の思いも固く結びついていたのに、いつしか解けてしまって、あの人の足は遠のいてしまった。今では独り寝の仇枕。」と考えられます。

そうしますと、後半の 「夕べの夢の 今朝覚めて」 は
恋人が帰った後とすると「夕べはは夢のような時間だったのに、今は夢が覚めたように一人ぼっち」となりまして
恋人が来なくなったとすると「まどろんで夢の中では一緒だったのに、目が覚めると一人ぼっち」となります。

このように、詞章を元にしてもいかようにでも解釈できますので、ご鑑賞になる方の感性で捉えて頂ければいいというところが、地唄の魅力の一つではないかと思います。


実は、この曲、天明4年(1784年)江戸中村座初演の「大商蛭小島」(おおあきないひるがこじま)という、曽我者と源頼朝の挙兵を掛けあわせた歌舞伎の中で髪梳きの場で使われた下座音楽で、杵屋佐吉(地唄での名前を湖出市十郎といいますが、)この方の作曲とされています。どんな場面で使われたかといいますと、おふじさん実ハ伊東祐親の娘辰姫が、幸左衛門実は源頼朝と駆け落ちをして暮らしているところへ、後白河院からの平家追討の院宣を持った文覚上人がやって来て、北条の協力を得るために訪ねてきた美人姉妹の妹実ハ北条政子と頼朝が祝言をあげて二階で新枕を過ごしている時、下の部屋で辰姫が髪を梳きながら嫉妬の炎をを燃えたぎらせるという場面です。
これを湖出市十郎が三下りの端唄に作りかえて西で大人気となったそうです。

ところで、「黒髪」は、「黒髪」で始まって「白雪」で終るのですが、他にこれといった色彩がなく、モノクロームの世界であるところが全体を流れるムードを作っているのではないかと思います。そういうところがなんかクールで素敵ですよね。


「黒髪」詞章
黒髪の 結ぼほれたる思ひをば 
解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕(あだまくら) 
袖は片しく夫(つま)ぢゃというて 
愚痴な女の心も知らで しんと更けたる鐘の声 
夕べの夢の今朝覚めて ゆかし懐かし 遣瀬(やるせ)なや 
積もると知らで 積もる白雪

2015-1-31


ABOUT BODY

ABOUT BODY

How to treat body and movement

I will write my thought and small discovery through Japanese ancient body treatment.
I cannot mention scientific. But it's my pleasure if my feel and guess will be some hint for you.

2014-3-15

The pivot foot in turnaround

The pivot foot in turnaround

When you turn to the right, which foot do you move at first?

Stand with your foots on sholder width, and turn to the right 90 degrees. Which foot do you move at first? Right? Left?
There are many method in turnaround.
Someone will say " I am right handedness. So, my pivot foot is left. It's natural to me to move right foot first."
Someone will say " Not moving the direction's foot, I cannot kick the ground. So when I turn to the right, I move right foot first, of course."
Well, how about move left foot first? Is it smart?

I watched Sumo in TV on one day in Nov. 2013. It was new faces' Introduction.
Three boys was on the Dohyo Stage and bowed on the front.
Bowed on the east side. Bowed on the back, west and front. They turned around 90 degrees each.
At that time, I noticed one boy in three moved different from others.
Two boys turned to the right with right foot first, but the one boy moved left foot first.
I saw this difference with surprise.
I tried by myself. Standed with my foots with shoulder width, and turn to the right with left foot first.
I realised I did't kicked the ground. Not kicking means not remaining.
Next, I tried with my knees loosen.
It maked the arc of the foot drowing is small. In other words, the shaft of turn is short, and the move is sharp.
And then, I conscious about knees and hip joints.
I felt knees were not twisted.
When I move right foot first, my weight put on the remain foot, left. But my body begin to turn to the right, so the twist happened to the remeined foot, left.
When I move left foot first, no twisted happened.
And I don' t feel any burden on my knees. I don't know why.
The hip joints open when move right foot first, but not open moving left foot first.
It may be suitable to Japanese, becase Japanease's legs are closer than western people.

Above all, I think that ancient Japanese moved with riverse side foot first.
Actually, we move so, in Mai dance.

Reminds me, I heard that Tesuya Kumakawa who was Principal of The Royal Ballet, told "My hip joints are much opened than other Japanese. Its my gift from heaven. (with pointed his hip joints) Here, open much. My legs are easy to open much." (BS-Asahi "The Interview" 8th, Feb. 2014)

According to it, I guess that there's suitable body handling to Japanese, because of his or her closed hip joints.
Not only hip joints.
Often I hear the ache of his or her weist, knees and hip joints.
I was thinking this is because of age but Kimono shop owner whose age is near 80years old says he never flet knee ache.(He is always sitting by Seiza (Japanese Courtesy Sitting Style) at his home. He also has experience sitting by Seiza on plank floor for over 10hours.) It is amazing.

We need to study the body treatment from ancient method.

Oh, I hope the young Sumo wrestler introduces above to be succeeded.
Thank you for reading.

2014-3-15

With scapulas, your frame will change...?

With Scapulas, your frame will change...?

Square shoulders become gentle line
Again, I talk about bones.

When I began to learn "Mai", my master told me "Relax. Pull out the power from your shoulders".
I intended pulling out the power, but my master told me often.
And then, she said " I see, you have square shoulders, aren't you? You look like me. Square shoulders holders like us, put on power to your shoulders, conversely."
Yes, I have square shoulders. But my master's shoulders seem gentle lines. I thought she said strange thing.
After that, I dance with putting power on my shoulders. It's hard.
I heard that Bando Tamasaburo (Famous female role of Kabuki) had square shoulders, and with his efforts, his shoulders became gentle lines.
I don't know it's true or not. But If my shoulders will be gentle, I can be reliefed. With modestly desire, I put on power on my shoulder everyday.

And my shoulder sticked out to front.
In the mean time, I mastered not down my scapulas simply, but down to the back my scapulas. And I could move my scapulas more....
One day, I thought myself with my pictures...
"Perhaps...my shoulders get down...?"

無題-2 60%.png無題-3.png

How do you feel?
Is it dIfferent?

It might be wearing style but Kimono collar looks much more cool when my shoulder is gentle.
Besides the appearance, I noticed my stiff shoulders had gone.

In TV Show, they told that poor movement of scapulas makes lotator cuff tear easily because of wear-out. (NHK "Tameshite-Gatten" 5th Feb.2014)

After I make an effort to move my scapulas, as result, many good things might happen to me, not only my shoulders become gentle.

Ah, think of it, according to TV Show of NHK "Cool Japan", Kono Yoshiyuki (Maestro of Japanese Martial Arts) coached Basketball Team of High School,
to play Basketball with their scapulas movement, and then the team became one of the powerhouses.

Mm....always talk about TV show.......


2014-3-15

Aging and Classical Performing Arts

Aging and Classical Performing Arts

Why our physical strength decline as we age...?

A gentleman who send me various articles of magazine or newspaper that may interest me several time a year, introduced me below article the other day.

"Anti-aging by Traditional Dance [Vivid! Heath Wisdom of Attach-Bone technicians] An investigation has announced. Additional strength training of arms and feet, you turn your arms during your feet stepping. When you continue this exercise for 4 weeks, 3 times per week, 30 min. per day, your cognitive function as memory will be improved.(omitted) But, it might be difficult to continue only you do this exercise. Traditional dance has these movement concerned with strength exercise, so many people pay attention to them as a method to continue the exercise joyfully. (omitted) By Morikawa Shinji Japan Judo Therapist Association " (Sankei-Shinbun 18th Feb. 2014)

Think of it, I watched in NHK TV Show " Tamesite-Gatten" that we touch our body during our feet stepping helps us preventing falls.

Indeed, many Mai experts work even advanced age.
Actually my "Mai" master's master, "Kanzaki Hide" performed "Kikuno-Tsuyu" at National Theater when she was 84 years old, and my "Mai" master's another master, "Yamamura Taka" performed "Deguchi-no-Yanagi" at Cultural Hall in Kyoto the year befor she died in 85 years old.
Many other dancers also performed in spite of their advanced age.
It might be related to upper articles.

Not just "Mai", Japanese Performing Arts, like Noh and Kabuki, we can progress the more your age.
I have thought that it's natural. Because when I was young, I thought simply "It's natural the more we make an effort the more we can do well."

But, one day, I was very surprised to hear that in Classical Ballet, most of dancers retire at 30s or 40s age.
In various sports worldwide, most of athletes retire a certain age, too.

"Why?"

Without fear of misunderstood and with using rough phrase,
It might be "The cause of early retire from sports is because they are demanded high technique and required good fitness level.
And the cause of late retire from Japanese Traditional Performing Arts is because they pursue and go to the end without overdoing a part of their body." ...? I consider now.

I could not remember from where I heard, someone said "In Japanese Style, we can put lines on the sound (
of Shamisen -Three stringed Japanese Guitar). But it is extremely profound to enrich the sound."
(That's probably from A Jiuta-Sokyoku Musician...)
It express the feature of Japanese Performing Arts directly.
I can think with it as guidline.

By the way, why our body get weak as we aged.
The day before, I thought...
"Childhood is a period that we are not good at body handling and don't have wisdom yet, but we have pure mind. By seeing the world through our pure eyes, and communicating with our pure mind, we are protected and taught.
Young age is a period that we are worried about and suffered
because of complicating the situation, and we are not wisdom to release our mind yet, but we overcome the difficulty by moving desperately with their outstanding fitness level.
And old age is a period that we manage our body and mind which become to work well by wisdom acquired through our experiences.

In other words, we are not having perfect period when mind, body and wisdom work well.
We are given various conditions by every season of our lives. We are given some variety how to overcome the difficult.”

How about think like this?

But after all, discomfort of body and pain should be avoided if possible.
Among variety of the method of anti-aging, it might be better to challenge the method we feel interest at the time, like food.

I love Japanese ancient martial arts and performing arts, so I am happy if you choose like that.

I am very happy if you choose "Mai"....






2014-3-29

Discussion of How to walk beautiful and easy

Discussion of How to walk beautiful and easy

Suffering from ancient way of walking

We could not disregard a way of walking. You can damage the hip or knee, it seems to also affect internal organs depending on how to walk.
A way of walking looks cool is much better.
Here is annoying.

When you wear a western style cloth, you must be looked cool if your way of walking is following western way.
When you wear Japanese style cloth, Kimono, your way of walking must be changed to Japanese walking style.
It is very difficult to master both western and Japanese walking style.

People who can do without consciousness are excellent but most of people cannot do without. I am one of people and always suffering a lot.

Western style posture and walking is introduced everywhere and it is easy to understand.
But it makes me much worried thinking about Japanese way of walking which elder people could do without consciousness.

Let`s examine a way of walking in the house.
Most impressed memory I have is at Tea Ceremony Practice.
When you walk by a way of walking down from the heel, everyone can aware your footsteps by large sound, “Dosudosu” and I am asked to walk quite. When I started to walk quite, I am always pointed out “Do not walk like a thiefs” because of stealthy footsteps.

Fortunately I do not have any experience advised a way of walking. If my walking style is following Japanese ancient method, it might be a good walk sliding the foot at thenar(base of the toe) in parallel without kicked.

The other day I was the video of Yotsu-gashira tea ceremony of Kennin-Temple at National Museum. I was impressed to see Gobo-sama walking smoothly by sliding thenar. His walking figure is very beautiful.

The problem is to how to walk with Hakimono, footwear.
I have an experience walking with Pokkuri when I was young but no experience walking with Geta, wooden clogs.
(There was iron clogs at my home, but of course, I did not walk an inch(laugh))

I purchased Ama-geta, wooden clogs for rainy season when grow up. It is very hard to walk especially at rain day because of two-tooth. I bought rain sandal with Tsumawaka.

I had an opportunity to purchase wooden clogs for Yukata challenging to wear two-tooth Geta.
(Ama-geta and Koma-Geta has two-tooth but tooth is different and stick of Ama-gate is more thin than Koma-geta.)

Every time I asked aged people to teach how to walk smoothly by wooden clogs but they always says “walk normal way”. I finally find best way of walking under various investigations.
“Tatazumai no Bigaku”(Written by Hidemasa Yatabe, published by Chuko-Bunko) page 74

“At the moment the Geta was about to tilt forward, I put out a foot to the ground grazing.”

Easy for walking! Amazing way! No power for movement. Just using your own weight shifting.
Front of stick of Koma-geta shaved to ease tilting forward.
(It is difficult to recognize because of rubber though.)




How about Zori?

I am not finding the best way of walking by Zori yet

The advanced point of Zori is easy to wear and take off and used for short distance walk. For long distance walk and quick movement we had been wearing Waraji or Ashinaga.
Some craftsman of Zori told me that “pinch Maetsubo(center of Hanao) between index finger and thumb and walk like hooking smaller Zori.”
Another craftsman advised me that a man walking with Setta like hooking looks cool but a woman can walk with Zori wearing Maetsubo back between the finger.
I think wearing way is not only one. You could wear various way which is much comfortable.

There is a thing which Some questions popping up.

There was a scene where young man who played by Tetsuya Takeda in the movie Tora-san said rubbing the right thigh with his right hand and said “Land in Tokyo is very wide. I walked very much.(“Otoko-ha-Tsuraiyo Torajiro Waga Michi wo Yuku”)

When I get tired by walking, my calf gets muscle ache but not thigh.
This phenomenon shows that I am kicking the ground to walk.
Reviewing many choreographies of Mai rubbing the thigh expresses walking a long distance but not rubbing calf.

This might be because a way of walking by Geta is using a thigh to forward legs.

If you feel a craft tired, do not think it is better to change a way of walking by shifting the weight for comfortable walking?

Mr. Yoshinori Kono, old martial art expert is saying that “Tips to increase the life shall be using a different tooth every time in the plural number of gears.”
It means when you use one particular body parts only, it will hurt your body and break the body balance. But using a various body parts to promote body movement you could continue the same thing without any additional load.
Ms. Mayumi Iida disciple of Mr. Kono said that “This is the difference of the person who gets an occupational disease or not or the person who fatigues or not.” She also said that “To strength the muscle you need to practice by various movement and direction.”

I remember the contents of NHK TV program, Close-up modern the other day(televising on 23 April, 2014)
According to Etsuo Chosa, Professor of Medicine of Miyaai University, “Such as muscles around the joint becomes hard adult Similarly, dysfunction of the so-called movement instrument is increased” is that so in children these days. Even a child who plays a soccer more than ten hours per a week could not couch and could not stick to the floor because of losing balance of his/her exercise function and flexibility caused by thick muscle against the thigh and calf. When an ankle gets worse, a knee or an opposite ankle will be damaged by over load. It seemingly becomes sick like that osteoarthritis. It is high risk of “locomotive syndrome” if not treating. It is not good absolutely using one body part anyway.
(Refer to http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3489_all.html)

Considering above thoughts changing various way of walking is good for your body and makes small load against calf.
By the way, Ms. Mayumi Iida foregoing is changing body use depends on the situation and not be tired from walking recently.

A way of walking by shifting weight without kicking the ground called “Nanba Walking Style” does not be tired because of less energy. This style is much different from Western walking style we learn in school. Basketball club of some high school seems no longer cause the stamina out to incorporate this running style. (Introduced by NHK ”Cool Japan”)

Express messenger, “Hikyaku” of the Edo period seemed to run 150km by one day. The story handed down tells a person named Genbei had runnded from Edo to Sentai by one day. Considering the words of Ms. Mayumi or above story of basketball club I do not think even an exaggerated story altogether.

After all, people in the past it was a common practice to walk without kicked.


Thinking about moving the center of gravity to the front・・・
The Suri-ashi (sliding feet) of Futabayama, the Yokozuna (the grand champion of Sumo) seemed like “His feet follow after his movement” (according to Ms. Mayumi Iida)
This means he slides his feet spilling his center of gravity, I think.

Walking without kicking, we can see the right foot forward with right hand forward, and the left foot and hand forward at the same time--- because of without kicking, the body doesn’t shake but swing.
Indeed, remembering how the scary men walked a couple of decades, they walked with swing not shaking.

And, the Kago (palanquin) which we can see often in historical drama, the customer hold the hanging rope, caused by swing.
So, I think Kago men adjusting the timing of movement of left and right not vertical motion by shouting “Ehho, ehho”.

I have heard Matagi people run down the hill by narrow stride by loosening knee. This running style does not strain on the knee and not raise the breath compare with wide stride running style.
Indeed, the feature of land form of Japan is mountain locates near to the ocean and there is a lot of slopes and mountain paths. Additionally ground is soft and slippery because of broad-leaved forest, leaf mold and much moisture
We have been walking by moving center of gravity with loosening knee and without kicking the ground matching such environment. This might be the reason why the length of our leg becomes shorter to keep the body balance by lowering the center of gravity.

We, Japanese, are often indicated by foreigners that our legs bowed. But no one cares about length of leg when wearing Kimono and even Kimono fashion looks cool wore by large size head and short arms and legs person.
(Danjuurou Ichikawa II had pointed an adopted child whose figure has been large size head and short arms and legs as successor, Danjuurou Ichikawa III instead of his own child because Dajuurou Ichikawa II was thinking the body figure is the most important factor to select the successor.

I have introduced a lot stories on theme “Walking method from old days”.
I would like to keep training wearing “Zouri” walking by moving center of gravity with loosening knee and without kicking the ground

Thank you for reading to end.


2014-4-27

Foot work without kicking

Why none kick movement is excellent

Reviewing none kick movement


I have introduced a story of theme “None kick movement” at the previous essay.
Today I would like to introduce another story related to none kick movement.

There is no dancing movement of kicking the ground in Mai off course.
I have not seen the walking movement of kicking the ground in Japanese traditional performing arts.

However we could see a lot of movement by kicking the ground in martial arts.
I was thinking previously that kicking movement must be required because of quick response in martial arts.
But when I look into deeply I am feeling that something is not quite right.

During the sumo match, Taiho vs. Kashiwado which was broadcasted on 19 May(Mon,) pushing the opponent by the 'tanden' (a point in the lower abdomen), not by kicking the ground.
I had introduced that moving the foot which locates opposite from the way you want to go firstly in my previous essay titled “The pivot foot in turnaround” issued on 15 March, 2014 is as same theory as what I am saying now, “None kick movement”

Also I found that Kotoyuuki is not kicking the ground at Tachiai, initial charge when I started to considering “None kick movement” last year. I was very proud to find that “Kotoyuuki is moving forward his body to opponent without kicking the ground. That is why his movement is faster than others.” I guess my discovery is not so bad because ex-Yokozuna, Grand Sumo Champion, had clicked “Favorite” bottom against the story which a person of my family wrote down in Twitter.

Comparing none kick movement and kick movement you could move much faster by none kick movement because the number of movement steps is less than kick movement steps. To do further explanation in kick movement case you need to pull up the leg after kicking the ground but in none kick movement no need to pull up the leg because of forwarding the body including the legs toward to the moving direction only.

It means much more quick action this none kick movement is much effective.

The advantage is not only speed but also power.
Back to Sumo Tachiai none kick movement looks very slow at the beginning but the opponent feels big pressure at the body contacting period. On other hand kick movement looks very fast but the opponent feels less pressure than previous case.
The difference is that whether you are using your body performance fully or not. In another words kick movement could not forward body power toward fully to the opponent because a part of weight remains at the leg which kicked the ground.

You might wonder the body shall fall down if the opponent does not move toward directly, i.e. hataki(slap down), tricky movement. Please do not worry because none kick movement is good balanced movement using position changes of center of gravity at low position.
This might be the mechanism of “Suri-Ashi”.
Kick movement is not might be so good balance movement because there are several additional movement compared with none kick movement. I think this movement has a disadvantage.

So why do we kick the ground to start the movement?
I believe kick movement is very natural from my experience.
We could not perform none kick movement without training and/or exercise.

Body movement is very similar to movement of spinning top because both movement is moving very compact at center part, body axis for body movement and shaft center of spinning top. That is why none kick movement does not cause injury and/or physical defect even movement looks similar.

At one scheme in Mai performance, one foot forward and the other back, we put center of gravity on forward foot but not 100% remain some weight on other foot. If you fail sharing the balance you will hurt your knee. Sharing a good natural body balance is not only good for your physical treatment but feel much comfortable.

And harmonic body movement is very beautiful without doubt.
This theory shall be memorizing somewhere inside of our body.

2014-6-1

Recommendation of the body mobilization

Recommendation of the body mobilization

Become comfortable not strain at one part + Enjoy fun by new discovery


The student who practiced for one year said “I am hearing the music by chest”.
At Mai exercise I am teaching when you watch scenery or things please image the eye at your chest instead of actual eye. It seems that she is trying to practice my word.
She continues “World looks different when listen music by chest.”
She is playing a music instrument in the orchestra. It is new surprise that my Mai instruction is useful for orchestra musician.

At Mai exercise class and/or trial Mai class one of the purpose is to find a hint to connect all parts of your body(bone) for good performance and feel body inside and this helps you to increase body sensors.

Human being is always thinking how to live easily and wants to spend fun time.
So I always make one part working only and others are taking a rest.
I think sharing works is much effective than one body part working method.
We have digressed from the theme.

Case1: Lifting the luggage
We will use our hand to grad and/or lift the things. If it is too heavy we will shoulder a bundle, carry and put a bundle on head. Some time we will lift by hand even much heavy.
Lifting over-weight things by hand hurts joint, muscle and back.
Will feel comfortable using a big scale muscle at back.
It is easy to lift up the baggage lowering the shoulder blade and lock the position of arm. This method could sprit the weight from arm via back to everywhere in your body. That means whole body shares total load.

Case2: Claiming the stairs
Every one lifts legs claiming the stairs. Do you make a noise when you put down your legs? If yes, you might feel heavy to lift up your own weight to claim the stairs. I recommend you to use your upper body to share the weight.
You could claim the stairs easily.
Let me explain the how to do.
Please try to claim the stairs with the image that the string connected to your navel is pulled up to the sky. Additionally walking on tips is great. This imagination shall help you to save energy to claim the stairs.

There is a lot of health management methods are introduced these days. But it is tough to memorize a various way and difficult to continue.
So please remember “body mobilization” method.
Combination of all body parts is the best way to avoid injury and uncomfortable.
Please check your movement whether sharing the load or not.

Body shall have a function to collaborate each body parts. If you are conscious this collaboration you could reduce injury and uncomfortable. You could discover new recognition from this collaboration. I am very happy to aware unexpected effect because I am doing Mai.

The person who listen music by chest is also enjoying to aware unexpected effect and she is considering and challenging various things

About teaching of “Looking a thing by chest” this will become expression saying only consciousness superficially above the neck If you look at the eyes. But when the eyes are attached to the chest and image, and to the feelings of the stomach can be expressed throughout the body, we are able to go above all spread more deeply their own consciousness.
If consciousness changes body will change. If body changes, consciousness also will change. This point is very difficult to express. Seeing is believing. You will see and you will try once.

What to feel from the experience is various.
These days I aware many people is wearing a string at waist in Kimono. The people are wearing Kimono for 24hours they are wearing a string at hip for hundreds years. This style must have a reason. To experience this wearing style I am asking the student who attends at trail class or practice to wear a string at hip. I hear the voice as follow; "feels good", "good condition" "body is easy," "hip is stable," "impressions such as firmly move " and etc.. Everyone indescribably like you started to feel something, even spread of ideas noticed due to wound the waist cord also is each person.

It is fun to realize new discovery, body feels easy, watch different world, expressing rich expressed in Mai…. I would like many people to experience these joys and would like them to increase sensors in body by being aware of the inside of the body, please use your body in various way to learn knack in various area. I am thinking to aware many discoveries.

The thinking method of body mobilization will make everything goes well. It will be better to collaborate with each other instead of leaving everything up to someone else.
It is better to share the load not to bet the excessive burden.

2014-11-14

Idea of Muscle, Idea of Bone

Idea of Meat, Idea of Bone

Ego and Harmony, Individual and Corporation

At Mai trial class on 23 January I asked students make a pair to experience the difference of "vertical the pelvis", "lower the shoulder blades". During this practice I explained “arms and body work together, by the body and lower body work together, movement of the waist and stomach leads to everywhere in body." I explained additionally “arm, leg moves by ego.” This description was not originally prepared but I was confirming that “this theory is not wrong” in my mind.

I would like to review my thoughts to make sure this in not wrong as follow.

Needless to say, in Japan and has been focused on whether the deal how the "bone" than the "muscle" since ancient times as a puppet sides of the body. That of important points that invisible to say "knack", I treat bone holds the key.

Everyone`s bone structure is same, even women, children, old people, body size is whether large or small. If you could master body movement method, you are able to increase a physical ability devising the handling of there some "bone" I can. It is good even without much impossible to muscle to go fall naturally.

Collaborating body parts by using bone you could use body power as fluid. I think this is an idea of “Harmony” because handling a body as one is very important.

And I would like to look specifically. The human body movement to rely on muscle, I think a move to use the skeleton, and that it cannot simply be divided, but in order to think clearly, I would like to consider in comparison.



To explain “muscle” movement it is depends on power. Human will devote the labor minimum to achieve a purpose without any uselessness. When you list a piece of paper you just use your arm. But how do you list 3000pieces of paper by arm? You might expand muscle movement from arm to shoulder to list up these by power only.
“Bone” movement is to connect all body parts to aim one movement. When you use bone movement to lift the same 3000pieces paper up, you will lower scapula and lock back and arm to mobilize back muscle even standing up pelvis to mobilize legs and loins togather.

On other hand “muscle” movement is in another word depending on an individual body parts movement. Each individual body parts will try to solve the problem by using their muscles. When he/she tries to solve somehow, he/she will set foot on ground naturally.
Because he/she feels power is leaking out and do not force the opponent. Setting foot on ground means you are setting the center of your movement by straddling. So all of your movement will be placed on center and you could not adjust your movement with the opponent. Myself and opponent is opposing as different thing. In another word, if I set foot on ground, the opponent will do as same, if you work hard, the opponent will work much harder affecting by your own work. That means your acting is making the opponent stronger. When you look inside your body, you could understand each body part is working individually opposing. Weak body parts (joint etc..) will be injured because of overweight against weak point.

For example when you tear Washi by hand, is difficult to tear straight by set foot on ground. Because it is not easy to synchronize your movement against fluttering Washi.
Also when you want to move your body 1meter to right side, you need to kick the ground by left foot in case you are setting foot on ground. The steps of moving to right is as first step; kick ground by left foot, second step; body moves right side, lastly; pull up left leg to your body side. Left leg is the only part which is left behind. Not only speed getting slow your left leg will be hurt by attached by Katana, Japanese sword.
Please try to face person and join each other hand by shoulder height level. When you push opponent by right shoulder, the opponent will push back by his/her left shoulder opponent by waist, the opponent will push back by his/her waist.

If you make much of “Bone” connection, you could move your total body toward to 1meter right side without kicking ground. To unify all body parts as one it is no need to set foot on ground. So you could adjust your movement with opponent`s movement. It is easy to tear Washi straight using this bone movement to adjust body movement to Washi fluttering movement. If you adjust movement with heavy weight and yourself, you could move easily. Please imagine moving wash tab with full water from right to left. When you set your foot on ground, this movement makes water small waves and water spit out. But if you adjust your movement to water in water tab, you could move the water tab without any water spit out from it. This is because a posture is harmonizing with water. When you pull some person`s arm to move him/her, he/she will straddle on tiptoe to prevent from moving. But if you unify your arm to opponent`s arm and start moving without set foot on ground, the opponent will step forward one step.
You could easily move naturally when you unify with others.

From point view from martial art “Bone” connection movement will not aware opponent about beginning sign because you are not set foot on ground and are unifying with opponent. So opponent does not have any information of mine and he/she could not stop my movement. You are not sticking at one place because you are not setting foot on ground and not need to do power performance because fulcrum itself is moving.

“Muscle” movement idea is the way to think individual or the method point yourself in the center (= Ego) and make opponent to move. It is easy to understand but I have image of strong-armed method.

In other way “Bone” movement idea is the way how to output maximum power by connection or how to get good result by unifying with other. It is vague but I have image of natural method.

I think this idea of “connection, harmony” is linked to the words of Japanese famous Philosopher Ikuro Nishida about the feature of Japanese Culture, “Look subject by make yourself none. Melt yourself inside subject.” In another word make yourself unify with every subject and every person by make yourself none, make your mind unify with others like Hanka-SHiyui Image, I think.

The sprit of old Japanese “Wa (respect each others)” is said mutual aid sprit. Following this understanding old Japanese thinking is “Not fighting but harmonizing” fundamentally. We have been much more of harmonizing with Nature and others. That is why there is a lot of fuzzy expressions in Japanese to avoid to be against with others.

I feel this idea of “Bone” is not only body movement method but life style.

If that cases I think to unify body and mind we need not only to exercise “bone” movement but to skill up own mind.

When I attend Ko-Budo before I have learned that I could move the partner standing diagonally behind by spreading the arms as growing of young tree even the partner is setting foot on ground. Strangely when my arm contacts the partner`s body I am aware of the contact point and arm itself, I could not success to move the partner again and again. Even the partner who is setting foot ground push back.

My consciousness is “Ego”. To be aware the contact point of my arm and partners`s body is to have a will to “push the partner”.
Whether you are doing the practice with Ego or not the result, push out or not, will be different. That means one consciousness will change the movement itself.

I would like to introduce the story by a pupil of a sculptor of Buddhist images, Sourin Matsuhisa. “There is a person who carves Buddhist images very beautiful but do not want to fold hands in prayer. Buddhist images will be with Ego as long as you have Ego. The works will show the artist itself inside. The work or body movement show the person.”

To change the body movement and yourself I become thinking that erasing Ego is the way to be close to “harmony”.

I understand it by my brain but could not do easily. So it is mental training and discipling.

‎Acharya Shionuma who succeeded the 1000 Day Circumambulation introduced in his own book as follow. “To upgrade Sutra chanting skill trainee should be scolded severely. You should never show your emotion from face or attitude because senior person sometimes says unreasonable words to train junior person. This is like training to take off Ego and it is able to grow mental part not to any excuse to break the atmosphere repeated.

Indeed, I though.

There is not special to take off Ego. What will you do when you are treated unreasonably facing with elder people or others. If you put yourself in the severe circumstance which you could not say any excuse, you could think “you could do special practice to take off Ego by skipping a grade”.

I was thinking unacceptable and something authoritarian feeling at any excuse is allowed location. On other hand I was feeling not a little charm that I am trained strictly.
I could not understand why this kind of severe atmosphere is needed.


The words of Acharya Shionuma, struck me really. To those of master and pupil relationship that does not say whether or not there has such a meaning.

My memory flashed back about one TV program before.
It is one scheme about the conversation between Ohtake-Oyakata and Ohsunaarashi.
Ohatae-Oyakata warned Ohsunaarashi against the behaivor pushed the opponent after winning and saying excuse in early days entering Sumo house by following words. “Obediently saying “Yes, I'm sorry, “? Honest, and humble feelings (is important).” “We work hard sumo, But you know, such a place (heart) also work hard." But he was not convinced. Ohsunaarashi told TV crew later that “No need of explanation. In Egypt I will explain the reason why I did so. But in Japan I must apologize immediately.”
Oyakata is trying to teach severely humble and obedient in mind to be Sumo Wrestler to be loved by fans.
(Broadcast at 17 August 2012 from NHK 20min. “Do Sumo by heart ~ Hot-blood Oyakata and Egyptian Sumo Wrestler~)

It is not only in the mind of growth. By taking off "Ego", I think it would come to also affect the skills to harmonize adapt yourself to the situation and the environment.

For example, in the martial arts, there might face the opponent at the unexpected place, at the unexpected situation. Need to practice and try to take off “Ego” at the same time because you might lose your life without best performance at any situation.

Practice, such as Mai, how to move the selfishness of the body, is a process that will change to how to move that was discarded "Ego", grow heart by such a notice.

Good body performance might be given by grown mind instead of a sound mind in a sound body

I would like to think deeply once more that the fundamental idea of basic body performance of “Mai” dedicated to God or life and dead fight is “not to against, harmonize with others without selfishness.”

2015-2-1
(2015-2-4 full modification)

THE OTHERS

THE OTHERS

About miscellaneous thing

I write about the miscellaneous thing.

2014-3-15

Small Articles Affect to "Mai"

Small Articles Affect to "Mai"

What's most important articles for "Mai"?

If you arrange articles for "Mai", Ougi and Kimono are all.
Then Ougi is the most important item.
But every school has its own specified Ougi for lesson, so it's difficult to choose your own specified Ougi.

So, I hope you to think important to wear "Tabi".
Especially, when you learn by yourself in your house, it's better to learn in your sleep wear or usual clothes, even if in that case,
I hope you to wear at least "Tabi".
Never learn by bare feet or with sockes, not to getting bad habits.
Certainly I felt something had chaned inside my body, after I began to wear "Tabi" in self learning in my house.

And if you can, I hope you to wear "Tabi" meets your foot.
I recommend you to feel how is the "Tabi" meet your feet in specialist shops (ordered or semi-oredered) and dance with the "Tabi".
It will be exellent.
Then, after wearing out, try to use in your house, please.


↑This "Tabi" are made of not "Kyarako" but "Momen"cotton.
 They're easy to wear. They seem a little bit cream-colored, compared with
 "Kyarako"'s blue-white.
 This "Tabi"are new but some wrinkle are showed.
 In order to wearing any time, I 've already wash them 3 times.
 This wrinkle is sign of adapting to my feet.

And if you can....
When you learn in your house, I hope you to think important to wear "Kosihimo" (abdomen cord).
Wear "Koshihimo" on your pelvis even if you don't wear kimono.
The position of cord has important meaning and role.
For experience, wear it on your pelvis, and try to clean the floor with your hand on cloth or to lift up heavy objects.
Don't you feel easily to move with hole your body?
When you wear cord on your waist, restained taking meal and/or deep breath.
But if you wear it on your pelvis, you are free from these restraints, and you feel sense of stability as exist a core inside your abdomen, don't you?

It's better to wear a flat cord not round cord, it might be possible, solid cloth inside, you can feel these sense much.
In my Lesson Dojo, I prepare "Koshihimo" for rent, and pupils wear it even if learning with usual clothes.

I took a long way to notice these things.
For the reason, I hope you to take short way as much as possible.

Take my words, and try it anyway.



↑ Let me introduce my favorite cords.
From left to right
Cord of Musline (It's made of wool 100% (in spite of named musline).
         It's tightened well. I reccomend you to wear on pelvis.)
Cord of Silk    (It's soft to touch. I wear it on rib rather than on pelvis.)
Cord of Silk, Willow (It's weaved like willow. it's tightened very well.)
Cord of Silk, Willow, solid cloth inside
         (I sawed solid cloth on the cord. It's tightened
         very well and flat, so I wear on pelvis.)
"Datejime" of Silk (narrow)
         (It has solid cloth inside. I wear on pelvis as "Koshihimo"
         in winter.)
"Datejime" of Silk , Hakata-ori Textile (It's common "Datejime".)
"Datejime" of Silk, Hakata-ori Textile (wide) (I wear it in case of heavy Kimono.)

*"Datejime" is thin belt worn over kimono and under obi in order to hold folding.

Upper from left
Triangle Folding (When you put away a flat cord, fold as rice ball, triangle.
        It makes straight wrinkles, so you can wear it comfortably again.)
Roll Folding   (When you put away a wide cord, roll it up. If it's long,
         fold in half and wind from center. It makes straight wrinkles,
         also, I recommned this method,too.)




2014-3-15
2014-6-17(補)

The Importance of Learning Directly

The Importance of Learning Directly

Why is it important to learn not only by books but also by teachers directly?

The other day, I saw special exhibision “Yousai and Kennin-ji” at Tokyo National Museum.
(*”Yousai”(or “Eisai” is one of the famous Buddhists, and opened Zen School in 1199.
*”Kennin-ji is Zen Temple in Kyoto.)

From the audhio guides of “Ingo-shu” (it was wrote by “Yousai” ), I heard that it contains that it’s important training not only learning by books but also by teachers directly.

Think abou t present day, it would be reworded to virtual things for examples-books, TV or Web network and so on.
Why it’s not enogh?

Because to get knowledge has a dager to intend to understand?
To be easy to believe?
Originally, “learning”in Japanese”manabu” ‘s word derivation is “imitate”in Japanese”manebu”, is it cause?

On that subject, I watched impressive experiment on TV Show “Baby, Mystery of his/her brain and body’s growth. –Grasped miracle flexibility—“ (NHK BS-premium)
It was a research by Professor Patricia Kuhl, of Washington University in Seattle, experimented 9months babies.
9months is the period which increase the capacity of recognize mother tangue, and decrease the capacity of recognize foreign languages.

One Chinese teacher talked to babies in video for 25minutes, for 12times (4 weeks).
After that, they examined the babies how to learn Chinese language.
The results were same to the results of no learned babies.

Same teacher talked to other babies directly same time, same period and same contents to video.
After that, they examined the babies how to learn Chinese, the babies’ recognized highly in Chinese.

That’s to say, we cannot acquire the learning through video, but we can acquire the learning through relation with humans.

Certainly, think of human beeing’s long history, the period not to depend on videos and books is much far long than after depend on, so I can understand that relationship with others make a strong influenceon brain.

If so, “Yousai”’s word that Learn by books is not enough would might be not cased only by danger to intend to understand or easy to belive.

And, though this experiment is according to learning, think of the strength influences to brain, I imagine the possibility the influences to mind.
I heard that solitary confinement makes severe mental damage.

Perhaps, human might be made that we can be happy only with the relationship with others.

I talk about information by TV, again.
I get informations from virtual resources.
I must bear in mind...

2014-4-6

My Methods of Organization

My Methods of Organization

Tabi and Ribbon

I titled highly coloured.
The other day, I marked my new Tabi, let me introduce the mothods.

When I wash two or three pair of Tabi, I confused the pair.
It was not confortable, so I marked them in new.

I marked by sewing 4 petals by changing the colour at the below of “Kohaze”(clasps).
The position is covered when we wear them.
It will be nice to embroider flower or butterfly on them.


Next is Ribbon.

The beautiful ribbon wraped presents and decorated the goods purchased just managing.
Don’t you feel “Mottainai” and want to keep them?

I put them on box, but they tangled and become “Gucha-gucha” , made me irritate.
Then, I think of winding onto the straws.

It was succeed, so I introduce you.

You can see at a glace the length of ribbons, to change the colour or number of straws according to the length of ribbons.
To fit the box, cut the straws, so you can put them on smart.



I like it.


2014-4-20

稽古曲再生機器今昔

頭出しが断然楽になった方法

生演奏→カセットテープ→MD→そして・・・

舞に限らずバレエやダンスでも、レッスン時の曲の再生をどうするか、は同じような状況にあるのではないでしょうか?皆さんどうしておられるのでしょうか?


【生演奏】
昔は舞の師匠は三絃を弾き唄って下さる方が付きっきりでした。
また、師匠が自分で三絃を弾き唄いながら舞の稽古をすることもありました。実際私の手元にも師匠の師匠でいらした人間国宝の山村たか先生の弾き唄っていらっしゃる音源が何曲かあります。
生演奏なので、どこからでもすぐにやり直せます。
が、演奏専門の方をお願するのはとても贅沢なことですし、気軽に稽古ができません。
では師匠自身で弾き唄えばいいかというと、それでは手本を見せられません。


【テープ、カセットテープ】
ですから、リールのテープが出るとテープに録音した音源を使っての稽古が広まりました。
リールのテープからじきにカセットテープになって、より安価で扱いも手軽なものになり、すぐに一般的になりました。
それからはカセットテープに録音してそれを再生することが長く続いています。

ですが、このカセットテープの不都合はテープを巻き戻す時間です。
また、無音部分を検出させること以外に頭出しができないので、狙った部分を探すのはなかなか大変です。
特に地唄は曲の中で「間」が空くことがあるので、曲の中で無音部分を勝手に検出されることもあるのが厄介で、頭出しの手間を考えてA面に一曲B面に一曲と、一本に二曲しか入らないので、何曲も持ち歩くには結構な荷物になるという難点があります。


【CD】
その後CDが出ましたが、家庭で手軽にCDに録音できる機器が普及していなかったため、CDはあくまでレコードの後継として扱われ、稽古とは無縁でした。


【MD】
そしてその後にMDが、カセットテープに代わるものとして登場してきました。
これは画期的でした!
カセットテープのように自分で簡単に演奏を録音できますし、何よりデジタルですから曲の途中で分割して頭出しし易いようにしたり、演奏前後の不要な部分を切り取ったり、名前を付けて一本のMDの中から狙った曲、その曲の頭出し部分をすぐに探したり、MDの中での演奏順序を入れ替えることも簡単でした。それらが機器でじかにできるのです。
頭出しが簡単ですから一本の74分なり80分なりのMDの中に何曲も録音できますし、4倍モードにすると320分も録音できるのです。一曲10分なら一本に32曲入れられます。

何よりMDの特徴として際立っていたのは、ファイルとファイルの間がギャップ無く再生するということです。いわゆる「ギャップレス再生」です。
一曲をA部分B部分C部分と、いくつかのファイルに分けておけば、ファイルの分かれ目が分らないようにスムーズに再生しますし、B部分以降再生したければ、そのファイルから再生すれば簡単に頭出し再生ができるのです。
また、曲名も「タカサゴー2 ナミノ~」「タカサゴ-3 -ヨルベ~」など題名と歌詞を組み合せて曲名をつけて分けておくと、頭出しをしたい部分をすぐに見つけられます。
MDは稽古には最適だ、と思われました。

ですが、今もはやMDスロットのある機器は全く販売されていません。供給元であったSONYがMD撤退を決め、生産停止になったからです。

今や音楽の楽しみ方はメモリ媒体になりました。時代は変わったのです。

MDが無くなる今、どうしたらよいか、途方に暮れました。
部品があるうちに、とMDプレイヤーをSONYに持込んでMD信号読み書きユニットを新品に交換してもらったり、MDスロットがあるミニコンポを2台も買ったり、MDに執着するもいずれは消えゆく運命・・・。



【再びCD】
CDで何とか頭出しして稽古できないかと試みましたが、CDはギャップレス再生ができない機器が殆どなのです。また、少し前に戻る少し後ろに進むなどの機能がない機器もありますし、CDプレイヤーは外出先での稽古では会場で借りるため、それらの機能は無いと考えなければなりません。もちろん曲名は表示されず、1曲目、2曲目、といったトラック番号の表示だけです。どの部分が何曲目かわからなくなってしまいます。
録音方法を工夫していろいろ試したりもしましたが、どうにも使い難いです。


【MP3】
パソコンでMP3ファイルにしてモバイル機器で再生しても、一曲のうちのA部分B部分の間にどうしてもプチっと無音時間ができてしまって、一曲としてつなぎ目がわからなくようなことはできませんでした。



ですが、やっと見つけました!!


【ウォークマンもしくはipod】
ATRAC、FLAC、WAV、AIFFなどの形式の楽曲であれば、ウォークマンでギャップレス再生が可能なのです!!(http://qa.support.sony.jp/solution/S1204109003814/
ipodでも可能なようです。(http://support.apple.com/kb/HT1797?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP

そして、ウォークマンやipodからワイヤレスでスピーカにとばす!

これは凄く使いやすいです!
私はウォークマン(S780シリーズ)を購入したのですが、MDのように一曲を分割して名前を付けて、再生する。そしてウォークマンをストラップで首にかけて帯に挟めば手元で操作できます。いちいち機器まで操作をしに戻る必要もなし。
Bluetoothを使ってコードレスで音を出せば、自由に動けます。
そしてスピーカは10W以上のラジカセ並みの音量を出せるものが400gなんです。(JBL FLIP2)
この組み合せならば、どこへでも持ち歩けます。
もう、会場でプレイヤーを借りるための心配は要らないのです。
しかも、名刺サイズのウォークマンに何千曲も入るのです。もちろん稽古曲全曲余裕で入ります。
他にもビデオを再生してフリを確認したり、FMは災害時の情報収集にも使えます。


↑よく使う「再生・停止ボタン」「戻りボタン」を手探りで押せるように、ネイル用のシールを貼りました。

録音はICレコーダなどから録音しますし、曲名のインプットや編集などはパソコン上での作業が必要になりますが、これでMD消滅に伴う悩みが一気に解決しました。

頭出しでお悩みの方のご参考になれば幸いです。

むふむふ・・

2014-5-16

Ancient Japanese Growth Method

Ancient Japanese Growth Method

Bottom Up Approach With All Participatory


Recently the learning method, put new comers into working place to learn technique, has been taken in Japan. But senior does not teach them anything but just asks new comers to do hackwork or help only. This is basic way for growth method in various areas, specialists, arts, cooks, monks and others.

In the individual connection between master and pupil a pupil is encouraged to steal a technique by watching. Teaching step by step is rare case.

If you are familiar with Western style growth method you might feel it is scamped work of teaching side or unprepared text for learning. I was thinking so before.

But I became to understand many meaning of entering new comer to working place immediately.
Firstly new comer could move chiefly.

New comer does not know/understand what to do when entered the forefront working place.
He/she will start thinking what he/she can do at the beginning. He/she will be asked to do various duties. He/she thinks why various duties with complain. He/she has an opportunity to do an expert work but cannot do. He/she will look around and start to imitate because nobody teaches.
To put yourself in chief position he/she tries to find what is correct or wrong to learn technique.
This is important.

Technique is performed by body not only in mind. That is why doing in chief position is very important.
It is important to adjust inside body but it is no meaning to adjust outward appearance only.
The inside body sense has meaning so you could not get anything from passive thinking.
Also considering of inheriting the tradition the person should inherit body sense. If not, it is only going to deteriorate copy. The result shall be as same as message game.

Secondly it is better to teach the technique which not able to describe in words.

Principle of “Logical” is that “Words are not inconsistent. Words could not appear at the same time and it is two-dimensional existences and exists in series.
But body performance is three dimensional existences. Technique is harmonized by body movement, spirit, mind, consciousness in parallel. So it is very difficult to be inherited by two dimensional words and/or serial existence.

That is why stealing technique by watching without many explaining words is a major premise

Using the words is thinking by brain but the person who has high physical capability could learn better by watching instead of thinking the method. It means learning three-dimensional existence by three dimensional method is earlier.

Thirdly we nurture human resource by not only two-dimensional and not expertise limitation.

Mainstream of modern Western perspective is dualism but Japanese dislike such attitude.
A philosopher Ikutaro Nishida representing modern Japan is pointing that “Look subject by make yourself none. Melt yourself inside subject” from past and explaining from philosophic ground`s point of view that Japanese values thoughts is pointing out that Japanese is valuing the old thought of Heart Sutra, awareness comes only through practice etc. then Japanese attitude like does not separate spirit and substance, subjectivity and objectivity, inside and outside, individual and universal, ideal and reality is a part of difference from Western idea.

Certainly, it has evolved and blend together without dividing into the traditional spiritual things and physical things in Japan. Martial arts also Geido also religion, have the same meaning in terms of facing the inner world, I think would be to face the inner world of that apprenticeship.
Such apprenticeship is difficult to cultivate in the curriculum approach.


そのために技の伝承には師匠と弟子という形をとって密接な間柄で弟子の習熟度を総合的に捉えて時間をかけて育成します。ですから、師匠としても弟子をとることに慎重で、門戸自体も狭かったのです。

また組織を集団で運営するという方法をとるのも、二元論にとらわれない顕れと考えることができます。長唄など大勢での合奏でも、指揮者はいません。立て三味線などリーダー的存在がいるだけです。能楽や歌舞伎など日本の伝統演劇では、演出家はいません。全員参加で問題に対処します。ですから、当然ながら育成段階でプレイヤーと集団を纏める人とを分けることはありません。

武道でも、将校と兵隊とを分けて育成しません。初めから将校兼兵隊を育成し、適正や能力の開花に応じて自然と道が分かれていくようになっています。

対照的に、西洋では一般にマネージャーとプレイヤーを育成段階から分けて教育します。
例えば、指揮者と楽団員、演出家と役者、経営者になるべきMBA保持者と専門職、将校と兵隊など・・育成段階から分けるので合理的に専門性を高めることができます。
西洋式と通常考えられているカリキュラムによる教育は、富国強兵の一環で学校教育や兵隊教育などに有効であるとして日本に入ってきましたから、プレイヤーを育てるための方法であることが多いです。ですから、門戸が広く、大人数を一度に一定のレベルにまでもっていくことを得意とするのです。育成目的がそもそも違うのです。


ですから、日本の育成方法の場合、兵隊でも将校たる心得は学んでいますから、全員が全体をみる心得はもっていますので、将校が参戦できなくなってもすぐに他の者がその役割をとって変わることもできます。
それを歯車と表現することも可能かもしれませんが、日本では現代の会社組織においても少し前までは、何でもできるゼネラリスト(総合職)を育成してきました。歯車という言葉は惨めな響きがありますが、もしも、西洋の兵隊養成システムと同じシステムだったとしたらどうでしょう。兵隊として育成された人にもしも将校の素質があったとしても、将校としての教育を受けていないので将校の仕事に就くことは難しいです。
それを考えると、日本のゼネラリストを育成する方法は全員に全能力を磨くチャンスがあり、流動性が高いので才能があれば適材適所が適う仕組みである、と考えることはできないでしょうか。


日本古来の感覚が二元論に縛られないという話ですが、それが江戸時代300年の平和を維持してきた一つの要因とも思えるので、今の時代のヒントになるのではないか、と思い、余談ですが、一例をあげさせて頂きます。

例えば江戸時代では日本の封建制は西洋に比べて比較的緩やかでした。身分や職業の流動性はある程度確保されていましたし、土地の権利関係についても、領主も百姓も共に土地所有者だったのです。領主の土地を百姓が借りていたのではありません。百姓にも土地の私有が認められていました。それに加えて村も村民全体での共有という形で主体的に土地にかかわっていたのです。
ですので、「割地(わりち)」というシステムも可能でした。何年かに一度くじ引きなどによって、村人たちが所有地を交換するのです。それは洪水などの危険負担を均等にするためのシステムで一軒がずっと不利な状態にならないようになっていました。また、限られた資源を永続的に使うために村内の山野の入会地の利用は村の共有となっており、村でルールを定めて使っていました。領主が決めていたのではありません。 (主に「百姓たちの江戸時代」渡辺尚志著による)
一見わかりにくいシステムのように見えますが、一つの土地に複層的に権利関係が成り立ち一人の人が所有者としてある土地の上にあり、他の土地の上に共有者としてあることで問題を軽減してくることができたのです。このシステムも江戸300年の平和が続いた一助となっていたのだと思います。

そして、余談ついでに、日本の合議制は責任の所在がはっきりしない、と批判されることがよくありますが、二元化に縛られずに組織を集団で運営することが習い性になっているがためだと考えられます。意思決定の過程はわかりにくいですが、独裁という敵味方を生み出してしまう決定方法や、多数決という数の論理の横暴を避けることができるというメリットもあるのではないでしょうか。


西洋式といわれる育成方法も日本古来からの育成方法も、それぞれ目的も背景も異なるものですから、目的、長所短所をよく考えたうえで、どういう育成方法を採るべきか判断し、使い分けることが大切なのではないかと思います。

西洋の考え方も東洋の考え方も優劣をつけるべきものではなく、ましてやどちらかに統合されるべきものでもなく、それぞれ補い合いながらやっていくのが、この世界にとって最もバランスのいい方法なのではないかと考えています。

2014-7-5

従順・勤勉・愛徳

従順・勤勉・愛徳

愛着をもって受け入れた環境で、努力して得た物を全て差し出すってことかな?

「従順・勤勉・愛徳」それが私が通っていた学校の校訓でした。
でも、最初の「従順」にはとても抵抗がありました。何だか理不尽なことにも物言わず従わなくちゃいけないような感じがして、この言葉が嫌でした。

それが、先日、NHKの「百年インタビュー」で哲学者 梅原猛氏の回を見ていましたら、仏教の道徳は「布施・精進・忍辱」とのこと。
それって・・・どこかで聞いた三つの言葉に似ている・・・と校訓のことを思い出しました。

もしかして、
布施=愛徳、精進=勤勉、忍辱=従順、ということではないかしら?
とするならば、

「愛徳」は「布施」だから、人の為に施す。ということは自分に出来る事は惜しまず出来る限り行うことでは?
「勤勉」は「精進」だから、努力をすること。
そして嫌いな「従順」は「忍辱」だから、辱めに耐える。ということは、受け入れて我慢することではないだろうか?
と考えたら、とても素直に「大事なこと」と思えるようになりました。


「勤勉」(精進)は、努力することなので、いつも怠け心が出ると、「いかん、いかん、努力しないと結果はでないぞ」と自分を鼓舞する時に思い出してはいます。


でも、「愛徳」(布施)は難しいです。「施す」と思うと自分もいい気分になりますから、自己満足のために実践できるでしょうが、「惜しまず」というのは難しいです。今、私はこの「惜しまず」と戦っています。
人様に何かをお教えする時に、ちらりと話す内容を調整してしまうような発想がよぎったりします。お教えすることを小出しにしてしまいそうになってしまうのです。
でも、知識も人の出逢いも何もかも、握ってはいけない。手放して循環させなくてはいけない。自分の持っている全てを差しださなければ、新たに何も入ってこない。
私は死んでいくのだから、私が握っていたら私の中だけで終ってしまう。明日死んでもいいように、持っている全てを差しだそう。
といつも自分に言い聞かせています。捨てるのは勿体ないですが、人に渡すのは勿体ながってはいけない。一日も早く、言い聞かせる必要がなくなるようにしたいです。


そして、「従順」(忍辱)は遥か彼方です。受け入れて我慢すること。我慢を我慢と思っているうちはきっと駄目なんでしょうね。
木々や草花は自分が一生を過ごす場所を変えられないし、そんな一生を受け入れて精一杯生きているように見えます。きっと理想はそういう姿なのでしょう。

何年か前からたまにですが、恩師が外出なさる時にお宅にお留守番に行くことがあります。恩師の御主人様はくも膜下で倒れられてから、人工呼吸器や胃ろうになさっていたのを、奥様(恩師ですが)の努力で人工呼吸器が外れ、胃ろうが外れて口から食事がとれるようになりましたが、四肢麻痺で御自身のお顔に蚊がとまってもそれを払うことさえできません。その御主人様と一緒に数時間お留守番するのです。片目も失明状態ですし、言葉を発しにくいので、思うように話ができません。それでも、その人生を「受け入れて」いらして、幸せそうに暮らしていらっしゃいます。
「受け入れる」って凄いです。私が恩師や恩師の御主人様の立場だったら、お二方のようにできるだろうか、といつも思います。
小さなことでも不満に思ったり、愚痴を言ったりしているのに・・・。

でも、この前ちょっと思いつきました。
「受け入れる」のはまだ私には難易度が高いけれど「愛着を感じる」のならできるかもしれない、と。
本当はいっぱい選べるはずなのに、これになっちゃった、から不満がでるのかもしれない。
本当はどうかはしらないけれど、これになっちゃった、から一緒にやっていこう、だったらどうかな。

そう思ったのは、昔の人の着物の話を友人にした時です。
昔の人は特に町民はそう何枚も着物を持っていたわけではなく、一枚の着物を暑くなれば裏を剥いで単衣にして、寒くなれば裏をつけて袷にして、もっと寒くなればその間に綿を入れて、古くなれば蒲団の表や座布団にして、もっともっと古くなればハタキにして・・・と着たきり雀でやっていた。だから、着物はその人のトレードマークみたいな物で、同じ様な着物の人を見るとその人をふと思い出したりした、という話をしていた時です。
気に入った物を際限なく手元に集めてどれとも縁が薄いまま暮すよりも、そこそこ気に入ったもの、まぁ縁のあった物とずっと関わっているうちに自分の匂いもついて歩み寄ったりしていく方が何だか魅力的に思えるなぁ、と。それは物だけではなく、人にも言えることだよね、と、そんな話をしていた時です。
それは「愛着文化」なんじゃないかなと話をして、はたと思いました。
木々や草花もそうしていることを考えると、そうやって暮す方が自然の理に適っているんじゃないかと、そうすることができるようになれば、きっと心身共に無理なく暮らせるのではないかと。

だから、「受け入れる」って思うと身構えてしまうけれど、折角だから「愛着を感じよう」と思うと少しはハードルが低くなって私でも少しはできそうな気がします。



ということは「従順・勤勉・愛徳」、これは「愛着をもって受け入れた環境で、努力して何かを得て、それを全て差し出す」ってことなのではないだろうか。

卒業して三十年して、やっとわかった(気がする)校訓の意味。
もしかして違うかもしれないけれど、今はそういう意味だと思って、出来る限り自分に言い聞かせていきたいと思います。

ほんと、30年もかかって・・・私は成長が遅いんだなぁ・・

2014-11-15

手縫いの浴衣

手縫いの浴衣

一枚の浴衣を長く着るために


「手縫いの浴衣」って実は和服は全て手縫いが原則なので、手縫いなのは当たり前なのですが、最近は背縫いをミシンでというところも増えてきたようです。私も日本橋の百貨店でミシン併用仕立てを勧められたことがあります。

確かにダーッと160cm程ただ真直ぐ縫うのはミシンだと楽に早く縫えるので、私も一時ミシンを買おうかとも思いましたが、自分で縫った浴衣を自分で着てみてやはり手縫いであることには理由があるのだということがわかりました。



まず着心地が柔らかいということです。
そして、手縫いだと長く着られるということです。

着物はゆったり着付けても、お尻の辺りはキュッと体に沿わせます。
座ったり歩いたり、動くとお尻の辺りはやはり負担がかかるので、ピッとほつれてしまうことがあります。

プチっという音と共にお尻の辺りの糸が切れる。「あ、いけない」一瞬ヒヤッとします。
でも、大丈夫。背縫いは二重に縫ってあるので、下着が見えてしまうことはありません。
そして、またそこを縫い直せばいいのです。糸自体が弱くなっていればあらためて背縫いを縫い直す。

でも、それがミシンだったら、糸が切れるだけでなく生地まで傷んでしまうおそれがあります。そうなると、損害は甚大です。



なるほど、だからミシンが入ってきても和服は全て手縫いのままだったのかと、合点。



浴衣は普段着にできなくなると、対丈にして寝間着にしたり、子供用に仕立て替えたり、最後は雑巾になったり、オシメになったり・・・。その昔は勿論お風呂着でしたが、レインコートがわりに雨の日に羽織ってたという話もあります。そうそう、飛行機整備の方は浴衣地の端切れをとても大切に使われるようです。油の含みが最高だとか。

そんな風に一枚の浴衣をそこまで使い倒せたら、浴衣地の反物が高いのも納得がいきますし、なるべく生地を傷めないように大切に着ようと思いますよね。


あ、あと長く大切に着るためにはアイロンは最小限に控えたようがいいようです。

以前、開く時にパリパリと音がするくらいにパリッと糊が利いた浴衣が「正しい」と思っていたことがありまして、浴衣を洗う度に糊をつけて干して、乾いたら念入りにアイロンをかけてピッチリ仕上げていた時期がありました。

お稽古場で年配の姉弟子に「あなた、いつもパリッとした浴衣をお召しだけれど、アイロンかけていらっしゃるの?」と聞かれ、自信たっぷりに「はいっ」と笑顔で答えたら、「あらぁ~」と驚かれてしまいました。
キョトンとする私にその方がおっしゃるには
「私達の時代は浴衣はアイロンなんてかけるようなものじゃないと思っていたけど・・・・。」
「え?じゃあ、クリーニングにお出しになられるんですか?」
「まさか!」
「えー、じゃあ、どうしていらっしゃるんですか?」
「洗ったら、糊かけて、干しておくの。折目を綺麗につけたい時は寝押しするだけよ。」とのこと。

そんなんでいいの?

試しにやってみました。
結果、干す時にちゃんと伸ばしておけば寝押ししなくても綺麗に仕上ります。
が、生地によります。一枚だけどうしても袖口の縫い目が皺になってしまって冴えないのがありましたので、それだけはアイロンをかけ続けました。

そして数年後・・・・

アイロンかけ続けた浴衣は見るも無残。肩山や衿など折目が白くなってしまって袖口の山なんか傷みが激しくて破れ気味に・・・。生地の毛羽立ちも激しい。
対してアイロンかけない組は同じような時期から同じような活躍回数の浴衣でも、綺麗で気持ちよく着られました。

あ~、日常的にアイロンをかけるのは本当に駄目なんだ、と痛感。

浴衣は手縫いで、糊付、ノーアイロンがお勧めです。
お気に入りの浴衣が駄目になるのは悲しいですものね。



ということで、稽古会の無料貸出浴衣も反物を購入して自分で縫っています。
皆さんの着心地を想像しながら縫うのは密かな楽しみでもあります。





勿論、全て手縫い、糊付、ノーアイロンで。

2015-3-12