曲について

曲について

舞の曲について、思うこと、感じることを綴ります。
地唄舞の稽古場の稽古曲は勿論地唄が中心ではあるのですが、端唄や上方唄などにフリがついたものもあります。最初のうちは、どれが地唄でどれが上方唄かはわからなかったのですが、お稽古する曲毎に調べるうちに何となくその違いはわかるような「気」がするようにはなりました。初めて聞く曲は区別をつけられません。短いと「端唄」かなぁ、なんて程度です。聞き分ける方法が知りたいものです。

2014-3-15

「閨の扇」について

「閨の扇」について

「閨の扇」(ねやのおうぎ)は暗いか明るいか
「閨の扇はな、みんな絵空事。逢えぬつらさを憧るるよりも、逢うて別るる事こそつらや。秋の扇と捨てられて、わしゃどうにも成らぬえ。・・・」
閨ってなんでしょう。「寝屋」と書くこともあります。随分艶っぽい場所です。閨で扇は何につかっていたのでしょうか。秋に捨てられるのですから、団扇のように涼をとるために使っていたのでしょう。ここまでの詞章をみると捨てられた女の哀しさを感じます。でも、この先を見ていくと・・
「何と思うていさんすことか、揺るがぬ様に要が大事え。さぁそうじゃえ。手折もやせん人心。流れの水に誘はれて、浮気にひびく里の鐘、きけば心も澄みやらぬ。宵の口舌に無理な私言。言わず語らず胸せまり、かねて退こうと思うていさんす心かいな。そうかいな。そうかいな。悪性男の面(ツラ)憎や。おお好かぬ。おお好かぬ。」
恨み辛みというよりも、お臍を曲げた女性の可愛いらしささえ想像してしまいます。というのも、その後「品よく扇とる袖の風になびかぬ我が心。聞かば嬉しき君がつまごと。」
で終るのです。なぁんだ、惚れた弱み、なのね。

何年も前にこの曲をお稽古した時はシリアスな暗い曲だと思っていました。
けれど、最近またお稽古し直してみると、意外にあっけらかんと明るい空気があるじゃありませんか。私が大人になったから?いえいえ、きっとフリをより考えるようになったからかもしれないですね。男の人をバシバシ叩くようなフリがあるのですが、ここを鬼の形相で叩いたら血みどろドロドロしちゃいますよね。やっぱりここは痴話喧嘩で可愛いらしく叩かないと・・。もしかしたら、この可愛らしさに私が憧れを持っているからそう思えるのかもしれません。

2014-3-15

「影法師」の”うたたね”について

「影法師」の”うたたね”について

”うたたね”ってうっかり寝?
「影法師」という曲は「あれ聞けと 時雨降る夜の鐘の声 寒さに寄する置炬燵 ついとろとろとうたゝねの 夢驚きて甲斐なくも よんぼり二人がさし向かい」ではじまります。
この曲は明治三年頃初めて記録に残されたものなので(日本舞踊曲集成②京舞・上方舞編による)、その時代の置炬燵ですから、お座布団位の大きさで天板もない、今の炬燵よりも小さいものでしょう。よく絵画で見ますね。そこで「ついとろとろとうたたね」をするのです。暖かいと眠くなるわね~、程度に考えておりました。
でも、うたたねって単についうっかり寝ちゃうことじゃないそうなのです。

”転寝”と書く”うたたね”。偶然みていたテレビでやっていたのですが、うたた寝というは恋と切り離せないものなのだそうです。
小野小町の「うたた寝に恋しき人を見てしより 夢ちょうものは頼みそめてき」という歌が有名ですが、その歌のイメージの影響で、ちょっと前の世代の方までは”うたた寝”というと恋を連想したそうです。試しに昭和一桁生まれの方に確認したところ「今は違うの?」と逆に驚かれてしまいました。
何という番組で誰が仰っていたのか、メモを失くしてしまったのが残念です。

ということは、この曲は恋衣をふわりとまとって始まっているのですね。

話は戻りますが、「よんぼり」さし向かいっていいですね。
「よんぼり」。何か、いいですね。

2014-3-15

日本の歌の歌詞について

日本の歌の歌詞について

言葉かメロディか
小学生の頃、塾の先生に「詩には『好き』とか『嬉しい』とか『悲しい』とか『淋しい』などの直接的な言葉は書いてはいけない。他の言葉で気持ちを表現しなければ伝わらない。」と言われたことがあります。その言葉がずっと心に残っていて、詩歌に限らず流行歌の歌詞にあてはめて考えたりしています。
確かに、『悲しい』と一言いってしまえば済んでしまうのですが、どう悲しいのか丼が大きすぎてかえって伝わりにくいかもしれません。一言では表現できないからこそ纏まった文章の『詩』にするのでしょう。

テレビ情報なのですがNHKの「COOL JAPAN」でイタリア人の女性が日本の歌の特殊性として「歌詞の多様な表現で歌の世界が広がること」を挙げていらっしゃいました。イタリアでは特定の表現が繰り返されることが多いそうです。また、フィリピンの方は「『ダイヤル廻して手をとめた』とかそういう表現には『あなたに会いたい』以上の意味が含まれているところがいい」と発言なさっていました。

なるほど、日本語の表現の豊かさは、言葉を用いてより微妙な表現をしてきた証かもしれません。
逆をいえば、西洋では言葉よりも表情やジェスチャーなど言葉以外の要素で表現をしてきたといえるのでしょう。陸続きで言葉の通じない人々と遭遇する機会が多かったせいかもしれません。
とすると、西洋の音楽表現もメロディーがまずあって、そこに言葉を添えたもの、なのかもしれないですね。
若い頃、アナウンスのアルバイトをしていたことがあり、局を定年退職なさったフリーアナウンサーの方に個人指導を受けていたことがありました。「夕焼け小焼けの赤蜻蛉」という原稿を読んだときに『あかとんぼ』を「あカトんぼ」と、カとトを高く読んで注意されました。先生は「アかとんぼ」で「ア」を高く読むのだというのです。怪訝な顔の私に更に仰いました。「歌ってごらんなさい。『ゆうや~け、こやけ~の、アかと~ん~ぼ~』でしょ?」と。歌は関係ないと思ったのを感じ取られたのでしょうね。「歌はね、言葉に合せて節がついているのだから、歌の音階の通りに読めば間違いないのだよ」と。結局その後、NHK発行のアクセント辞典を開いて決着はついたのですが、その説明にはず~っと違和感を感じていました。
が、最近思うのは、昔の日本の歌は確かに言葉にメロディがついたのかもしれない、ということです。
和歌もお正月の歌会始などを見ていると、どの和歌も同じような節で歌われています。
お能の謡もメロディアスというよりは、言葉に節がついたような印象です。
琵琶法師も琵琶を片手に平家物語を語り歩き、その後の義太夫節系統の音楽は「語り物」と言われて語りと歌は密接な関係にあります。実際に素浄瑠璃を聴いているとセリフのような部分からト書きのような部分そして歌うような節のついた部分が実に自然に流れるように移り変わり、それが物語の雰囲気をいか様にも操っています。
メロディに歌詞がついたものも多数あるとは思いますが、そんなことを考えてみると「ずいずいずっころばし」「おせんべ焼けたかな」などのわらべ唄など、やはり日本の音楽には言葉が重要な役割を持っていることは確かなのではないかと思うのです。

「きんぎょ~え~、きんぎょ~」「棹や~さおだけ~」「しゅっぱぁ~つ、しんこ~」「○○ちゃ~ん、あそびましょ~」最近はあまり聞きませんが、以前は言葉に節をつけて歌うような声が町に溢れていましたよね。
今は歌の種類もずいぶん多様化していますが、「歌詞の多様な表現」に言葉が大切にされてきた名残りがあるのかもしれませんね。


で、地唄の詞章についてですが、よく意味がわからない、と言われますが、ちょっと長くなったのでその話題は次の機会にお話したいと思います。

長々とお付合い下さいまして有難うございました。

節をつけた言葉、「やっとこ、どっこい、うっとこなぁ~」とかって好きなんですけど。古過ぎますかね。

2014-3-23

曲の詞章の説明について

曲の詞章の説明について

わかりにくいからこそ広がる世界

舞の会にいらした何人かのお客様に「歌詞の意味がよく分らない。ちゃんと説明した方がいい」と言われて困ってしまったことがあります。

うーん、説明・・・。
これが案外難しいのです。

例えば、「雪」(関西風にユキのユを高く読みます)。
「花も雪も 払えば清き袂かな ほんに昔のむかしのことよ わが待つ人も吾を待ちけん 鴛鴦(おし)の雄鳥にもの思い羽の 凍る衾(ふすま)に鳴く音はさぞな さなきだに 心も遠き夜半の鐘 聞くも淋しき一人寝の 枕に響く霰の音も もしやといっそせきかねて 落つる涙の氷柱(つらら)より 辛き命は惜しからねども 恋しき人は罪深く 思わぬことの悲しさに 捨てた憂き 捨てた浮世の山かずら」
ちょっと長いですが、平成5年の第71回国立劇場主催の舞の会のパンフから抜粋しました。

この女性はどんな女性でしょう?
昔の恋しい人を想っている。どんな人が、どんな気持ちで、どんな風に?
「捨てた浮世」とあるので、出家した尼さんと考えることもできます。では、なぜ尼になったのか、男に捨てられた尼になったのか。(それなら恋しい人との思い出はちょっと前のことですよね。)それとも、あれから何十年、ふと雪を見て思い出したのか。仏門に入って暫く経った人なのか、今しも仏門に入ろうという人が半生を振り返ったのか。
また、霰の音を恋しい人の訪れる音に聞こえて「もしや(あの人ではないか)といっそせきかね」たのは、今なのか、過去の思い出の中なのか。
この人は、恋しい人を諦めきれずにいるのか、それともすっきりした気持ちで想い出を大事にしているのか・・・。

あなたはこの詞章からどんな女性を思い描いたでしょうか。

ちょっと専門家の方の説明を抜粋してみます。

「大阪南地の芸妓そせきが恋する男に捨てられて尼となり、悟りに至る心境の中で、やはり昔の思い出を捨てかねている、というのが歌の主意。」(日本舞踊辞典)
「世の無常に悟りを得たかに見えながら、やはりすてたと思った浮世への未練はたち切れないのです。」(沼艸雨S44国立劇場舞の会パンフより)
「華やかだったこし方を思い、黒髪を切って今浮世に別れ仏門に入らんとする澄み切った女性の心情を艶冶に舞う曲で、悟りの中にも艶があり、それが雪の冷たさと女の情念の激しさとの対比の中に描かれている。」(矢野輝雄S57ひで女舞の会パンフより)
「尼になった女が、昔の恋を思い出しています。楽しかった日々もありながら、愛しい人は自分を捨てて去って行った、その辛さに耐えられず、浮世を逃れて仏門に帰依したのだが・・・やはり、昔の恋は忘れられないといったことでしょうか。」(廓正子H20国立劇場舞の会パンフより)

答えは一つじゃないのですね。
要は舞い手も観る人もそれぞれの受け取り方でいいのではないか、ということです。

ですから、なるべく観る方の想像する楽しみ、世界が広がって行く醍醐味を損なわない程度の説明にとどめなければならないのですが、そこの塩梅がなかなか・・・

ましてや私自身、わからない詞章がたくさんあるし。

でもね、この前、以前録画したビデオを見直していて、こんな会話にはっとしたんです。

(平成5年 NHK「芸能花舞台」 渡辺保、大岡信の対談(「渡辺保の部屋」にて)(敬称略))
渡辺保「能の詞章もよくわからないんですけれども、地唄舞っていうのは詞章が・・・」
大岡信「地唄舞はわけわかんないところありますよ。(略)地唄の全集とかよくでてますね。で、解説者がね「よくわからない」とか書いてあってね。安心しました。」

私もこれを聞いてとっても安心しました。

渡辺「僕は(略)地唄舞っていうのは拝見してると、ある突然、ある単語だけがぴゅっと響いてくる。それぞれの単語の向うに何かあるなってことが観客にわかる。そうするとその事を探っていく面白さっていうのも僕はあるような気がするんですね。」
大岡信「あるんですね。だから一回だけ観ただけじゃ駄目なんですね。多分ね。二回観ると随分違いますね。で、二、三回観るとね、その度にこないだと違ってるなと思うと、どうして?ってこう考える。(略)で、言葉もきいているうちにだんだん少しづつわかってきますからね。」

この会話を聞いて、詞章がわからなくっても大丈夫なんだ、と安心すると同時に、やっぱり下手に解説しない方がいいかな、なんて思うわけです。

その時々で、感じ方が変わる。
舞い手の心の違いもあり、勿論振りの違いもあり、地方さんの心、唄や三絃の音色の違いもあり、そして観る方自身の心境の違いもある・・・
そんなゆるりとした事物の中で唯一変わらない「詞章」。

どうにでもとれるからこそ、面白いんじゃないか、と思うのです。


やっぱり・・・・手抜きかなぁ・・・。

2014-4-13

「こすの戸」の解釈について

「こすの戸」の解釈について

いろいろな解釈ができるのも「地唄舞」の楽しみ

先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「こすの戸」についてちょっとご説明させて頂きます。

「こすの戸」は「小簾の戸」とも「古簾の戸」とも書くことがありますが、「簾」がミスやスダレを意味している通り、「簾戸」のことです。万葉集の時代は「オス」と読まれ、鎌倉時代には源実朝の歌に「コス」とみられ、1603年の「日葡辞書」にもCosu-Sudare(コス-スダレ)とあるので、「小簾の戸」の漢字をあてるのがよいのかもしれませんが、「古簾の戸」の醸し出す雰囲気も捨てがたいですね。
で、「簾戸」は何かというと、竹や葭で風通しを良くしてある戸です。昔は家の中の建具も季節によって取りかえていました。今でもやっているお宅はあるかと思いますが、夏になると襖や障子戸を外して簾戸や御簾にして風の出入りをよくするのです。

なので、「こすの戸」は勿論、夏の曲です。
詞章は「浮草は思案の外(ほか)の誘ふ水 恋が浮世か浮世が恋か ちょっと聞きたい松の風 問へど答へず山時鳥 月やはもののやるせなき 癪に嬉しき男の力 じっと手に手を何にも云はず、二人して釣る蚊帳の紐。」です。

「浮草は思案の外(ほか)の誘ふ水」
ここは古今和歌集におさめられている小野小町の和歌
「わびぬれば身を浮草の根を絶えて 誘う水あらば去(い)なむとぞ思う」というものをふまえていると考えられます。
小野小町は六歌仙(六人の和歌の名人)の一人でしたが、この歌は同じく六歌仙の一人であります文屋康秀が三河の国司になった折に、三河に小野小町を誘った和歌に対する返歌で、「淋しいので、根がない浮草のような私ですから、誘って下さる方がいらっしゃったら行ってしまおうかしら」というような内容です。

そして次の詞章が「恋が浮世か浮世が恋か」
浮草のような私がいるこの浮世はいったい恋が全てなのかしら。

「ちょっと聞きたい松の風 問へど答へず山時鳥」
松の風にきいてもわからない。 ほととぎすにきいてもわからない。

「月やはもののやるせなき」
月が私を物思いにさせるのかしら。
ここは、百人一首におさめられている有名な西行法師の和歌
「嘆けとて月はや物を思はする かこち顔なるわが涙かな」を踏まえていると考えられます。
嘆けといって月が私を物思いにさせるのだろうか。そんなことにかこつけて私の顔は涙に濡れている。

そして「癪に嬉しき男の力」
ここで場面が変るんですね。男性がいるのです。
癪をおこすと介抱してくれる男性の力が頼もしい、ということです。
癪はお分かりでしょうか?今でいう胃痙攣のようなもののようですが、遊女などが嫌な客を断ったりする化病の道具として使われている場面をお芝居などでよく目にします。

最後が「じっと手に手を何にも云はず、二人して釣る蚊帳の紐。」
もう何も言わなくてもおわかりかと思います。蚊帳の紐を部屋の四隅にある金具に掛けて・・・。

ということで、最初女性は物思いに沈んでいます。そして最後は男性と蚊帳の紐をかけているハッピーエンド。この骨格はしっかりしています。
では、この女性はなぜ物思いに沈んでいるのか、最後の男性は誰なのか。
この肉付けの部分が解釈になります。

この解釈によって同じ曲でも様々な世界が展開されるのです。

ちなみに・・私の解釈を申上げますね。
思うに、この女性は好きな男性がいてその人が全然会いに来てくれない。
あぁ、もうこんな身の上ですもの、誰か誘ってくれたらついていってしまおうかしら・・でもそうもいかない。
松の風は、松籟ともいいますけど、人の声に聞こえますから、つい相談してみたくなります。
あの人はどうして来てくれないの?いつ来るの?
ほととぎす、お前は山を飛び回っているから知っているのだろう?あの人はどうしているの?来てくれるの?・・・答えてはくれない。
あぁ、月が出た。今夜も来てくれないのかしら・・
そこへ男性が現れる。
あぁん、もう、どうして来てくれなかったの?仮病の癪を起します。アイタタタ・・・
「大丈夫かい?」なんて介抱して貰って、男性に甘える・・という女性

でも、違う解釈も勿論可能なんです。
例えば、思いもよらない人に誘われて、この人になびこうかどうしようか・・
いや待てよ、後でもっと素敵な人に出会えるかもしれない・・どーしよー
松風に相談しますが、わからない。
ほととぎすに相談してもわからない。
月がでて、月ってなんかセンチメンタルになっちゃうわ。
そこで癪がおきます。アイタタタ・・
「大丈夫ですか?」と介抱してくれる男性が何だか頼もしく思えて、あら、この人、いいかも・・
という解釈もできるんです。

もっと違う解釈もできると思います。

振付師の解釈が振付に影響して、それをふまえて舞い手の解釈がなされてそれが表現に影響して、そして演奏家の解釈が息や音色、間(ま)に影響し、そしてそれをまた舞い手が感じとってお互いに即興にやりとりをする。
更に、鑑賞なさる方のその時々の感じ方、受取り方次第の部分もあります。

その組み合わせによって同じものには二度と出会えない、まさに一期一会のものなのです。

ですから、前回の話題でも触れましたが、私としては先入観を押し付けたくないのであえて説明は最小限にとどめるようにしています。詞章だけを頼りにして頂いて、耳をよぎる言葉と音色の雰囲気と目の前の動きからイメージを膨らませて頂いて御自身の世界をつくって楽しんで頂けたらいいかなぁ、と思っています。

こんなお話を先日の7月11日の鑑賞・体験教室でお話させていただきました。
次の鑑賞曲は「残月」です。どんなお話ができるか・・うーん、悩ましいっ。

2014-7-20

「残月」と「秋の夜」について

「残月」と「秋の夜」について

月にまつわる二曲の違い

先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「残月」と「秋の夜」。この二曲、共に月を眺めて物思いに沈むのですが、結構違う内容なのでそこをご説明したいと思います。

「残月」は亡くなった方を偲ぶ、いわゆる追善曲です。
詞章に「覚めて真如の明らけき 月の都に住むやらん」とあります。
この真如というのは、仏教でいう「決して変わらない真理、真実」のことをいいます。
よく真如の月といいますが、それは月の光で闇が照らされることに真如によって一切の悩みが晴れることをなぞらえた言葉です。
「残月」では「真如の月」と直接いってはいませんが、「覚めて真如の明けらけき 月の」という具合にそれを匂わせています。

また、詞章の冒頭は「磯辺の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の 光や夢の世を早う」で始ります。「世を早う」ですから夭折なさったということですね。
実際にこの曲は、作曲者の峰崎勾当が愛弟子が亡くなった一周忌に作曲したともいわれていますし、また、大阪宗右衛門町の松屋某の娘が若くして亡くなったことを悼んで作られたとも言われています。松屋某の娘の戒名は「残月信女」だったことから、その場合題名が「残月」になり、「真如」と「信女」がかけられている、と考えられます。
いずれにしても、実際に亡くなった方のために作られたというところは間違いないようです。

ですのでこの曲はストーリーがあるわけではなくて、全くの詩で、より抽象的、普遍的な世界を持っています。

また、「残月」は地唄ですが、手事という唄の無い三絃だけの部分がとても長い曲です。全部演奏すると20分、舞は手事を端折っていますが10分以上はかかります。そのせいでしょうか、各流比較的近年に振付けられたものが多く、今回ご鑑賞いただいたのも師「閑崎ひで女」が昭和46年に振付けたものです。そのくらいになりますと、舞が披露される場所として舞台が中心になってきていますから、当然振付も舞台向きとなっていて、照明などの灯りや御覧になる方との距離感のとり方、目線などが座敷向きの古い舞とは大きく異なります。

反面、「秋の夜」の振付は師「閑崎ひで女」の師匠であった「山村たか」の師匠であった「山村春」という方によるものですから、だいたい明治期後半頃のものではないかと思います。その頃は舞は座敷で披露されるのが中心で、広い場所で披露されることがあっても大広間の座敷という形が通常だった時代のものですから、目線や振付が舞台向きの物とは違います。

例えば、「月」ですが、
「残月」では、舞い手自身が「月を見」たり、「月を指差し」たりして観る方に月をイメージして頂くのですが、「秋の夜」では、勿論月も見ますが、手で大きな円を描いて観る方に満月をイメージして頂くようなことをします。現代の振付よりもより具体的な表現が多いという特徴があり、逆に現代のものはより抽象的な振付が多い傾向があるように思います。

また、「秋の夜」は上方端唄です。いわゆる流行唄のほんの5分位の軽い曲です。ですから、人が亡くなったというような重い話ではなく、好きな人が会いに来ないというような軽い気持を表すものです。

例えば、指で年月日を数える振りですが、
「残月」では指で「3つ」数えます。
(「3」という数字にそんなに意味があるわけではなく、まぁ、沢山という意味なのでしょうけれど、)その3の後にどんな単位がつくのか。3日では、まだ亡くなったことすら受け入れられないでしょうから、きっと3年くらいのニュアンスなのではないかと思います。
「秋の夜」でも指で「3つ」数えます。
これが3年だったら、3年も会いに来ないならもう脈なんか無いわけですから諦めた方がいいわけで、3か月来ないのもかなり深刻、まぁ、3日程度がいいところではないかと思います。
いい感じになりそうな彼が3日会いに来ない、遊びか本気かどっちだろう、とヤキモキしている感じがしますね。

という具合で、「月」を見て物思いに沈むのでもいろいろあるんだなぁ、というところを面白がって頂けると嬉しいです。

ホントは先に曲が決ってしまって、「あー似たような二曲になってしまった。解説どうしよー」と悩んでいてふと気付いた違いなのですが・・・15分間解説できてよかったです。

2014-11-15

「黒髪」について

「黒髪」について

黒で始まり、白で終わる

先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「黒髪」について、解説させて頂いた内容を一部ご紹介したいと思います。

冒頭に「黒髪の 結ぼほれたる思ひをば」と唄われます。
この「結ぼほれたる」というのは「結ぼおれたる」と読みますが、からみ合って解けなくなること、です。ですから、「黒髪がこんがらがるように、絡みあって解けなくなってしまった思いを」という感じの意味になります。

「解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕」と続きます。
仇枕というのは唄によく出てくる言葉ですけれども「仇」というのは悔しさや恨めしさを意味します。ですので、枕さえも恨めしく思えるという感じでしょうか。

そして、「袖は片敷く夫(つま)ぢゃというて」ですが、この「片敷く」はつまり、独り寝を意味します。
江戸時代頃までは着物に綿をいれて布団のように使っていたので、男女が共寝する時には「袖交わす」といいまして互いの袖を敷き合いして寝ていたのです。ですが、独り寝だと自分の袖しか敷く袖がないわけです。かなり独りが身に沁みる風習だったわけです。
ちなみに、今の四角い布団が広まったのは宝暦年間以降のことで、着物の形は作るのに手間がかかるということで関西の商人が、四角くして今の布団の形にして売り出したところ、安くて仕舞い易いということから広まったといわれています。

そして「夫(つま)」ですが、いまは「つま」というと女性を指しますが、以前は男女関係なく連れ合い、パートナーのことを指したのです。古くはどちらかというと男性を指していた場合が多いようで、この曲の場合も男性を指しています。

「愚痴な女の心も知らで しんと更けたる鐘の声」
これはいわゆる時の鐘です。昔は不定時法で日がでている間、沈んでいる間をそれぞれ6つに割っていましたので、日の長さによって一刻がずれるのですが、逆に日の出・日の入りの時間は明六つ、暮六つという感じでだいたい同じでしたので、夜になってからどれ位経ったのか、夜が明けるまであとどれくらいなのか、がわかり易かったのです。ですから、「鐘の声」という言葉には「ああ、こんな時間になってしまったからもう来ないかも」とか「ああ、もうこんな時間だから、もうすぐお別れだわ」とかそいういう気持ちが含まれているわけです。


また、振付の解釈ですが、
座って3つ指で数えて、アレと見直す振りが舞にはよく出て来ますが、これは畳算をしているところを表しています。畳算は何かというと、占いです。
簪とかを投げて、その落ちたところからヘリまでの畳の目の数を数えて「来る」「来ない」とかを占うのです。(落ちた向きで占ったり、「いつごろ来るか」を占ったりもするそうです。)
女性が占いをするときというのは、大概がもうそのことで頭いっぱいで何にも手につかないという状態ですよね。
そのあと簪を抜いて頭を掻くフリなんかもありますけど、これも手持ち無沙汰でやるせない感じを表しているのだと思います。

そして、言葉や振付の大体の意味をおわかり頂いたところで、内容の解釈の話ですが、詞章から解釈をしようとすると、大きく分けて二つの意味に解釈できます。
一つは、恋人が帰った後一人ぼっちになった女性、もう一つは、来なくなってしまった恋人想っている女性です。

「黒髪の 結ぼほれたる思ひをば  解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕」

この部分を、恋人が帰った後、と考えると「黒髪のように絡まってほどけなくなったように思えたあの人とのわだかまりも打ち解けて、共寝をする夜は楽しいけれど、今は独り寝仇枕」となります。

また、恋人が来なくなった状況だとすると「黒髪が絡まってほどけなくなったように、私達の思いも固く結びついていたのに、いつしか解けてしまって、あの人の足は遠のいてしまった。今では独り寝の仇枕。」と考えられます。

そうしますと、後半の 「夕べの夢の 今朝覚めて」 は
恋人が帰った後とすると「夕べはは夢のような時間だったのに、今は夢が覚めたように一人ぼっち」となりまして
恋人が来なくなったとすると「まどろんで夢の中では一緒だったのに、目が覚めると一人ぼっち」となります。

このように、詞章を元にしてもいかようにでも解釈できますので、ご鑑賞になる方の感性で捉えて頂ければいいというところが、地唄の魅力の一つではないかと思います。


実は、この曲、天明4年(1784年)江戸中村座初演の「大商蛭小島」(おおあきないひるがこじま)という、曽我者と源頼朝の挙兵を掛けあわせた歌舞伎の中で髪梳きの場で使われた下座音楽で、杵屋佐吉(地唄での名前を湖出市十郎といいますが、)この方の作曲とされています。どんな場面で使われたかといいますと、おふじさん実ハ伊東祐親の娘辰姫が、幸左衛門実は源頼朝と駆け落ちをして暮らしているところへ、後白河院からの平家追討の院宣を持った文覚上人がやって来て、北条の協力を得るために訪ねてきた美人姉妹の妹実ハ北条政子と頼朝が祝言をあげて二階で新枕を過ごしている時、下の部屋で辰姫が髪を梳きながら嫉妬の炎をを燃えたぎらせるという場面です。
これを湖出市十郎が三下りの端唄に作りかえて西で大人気となったそうです。

ところで、「黒髪」は、「黒髪」で始まって「白雪」で終るのですが、他にこれといった色彩がなく、モノクロームの世界であるところが全体を流れるムードを作っているのではないかと思います。そういうところがなんかクールで素敵ですよね。


「黒髪」詞章
黒髪の 結ぼほれたる思ひをば 
解けて寝た夜の枕こそ 独り寝る夜は仇枕(あだまくら) 
袖は片しく夫(つま)ぢゃというて 
愚痴な女の心も知らで しんと更けたる鐘の声 
夕べの夢の今朝覚めて ゆかし懐かし 遣瀬(やるせ)なや 
積もると知らで 積もる白雪

2015-1-31

「由縁の月」について

「由縁の月」について

一つの詞章から三人の女性が

先日の鑑賞・体験教室でご鑑賞いただいた「由縁の月」ですが、
実はこの曲、春ということで、今回舞わせて頂きましたが、人によっては「秋の曲」のイメージをお持ちの方もいらっしゃいます。
どうしてでしょう?
まず、この曲の歴史から紐解いてみたいと思います。

この「由縁の月」はかなり古い曲で、宝暦の頃、鶴山勾当という方に作曲されました。そして、元文五年(1740年)の床開き、五月一日に鴨川に納涼の為の川床が敷かれますが、その折に演奏されてより大いに流行したといわれています。
その後、70年程して文化六年(1809年)に、三世中村歌右衛門が江戸中村座でお名残り狂言として「廓文章(いわゆる吉田屋)」をだしました時に、伊左衛門が夕霧を待つ場面で長唄に移して取り入れて一層流行したということです。

この「廓文章」はどんな話かといいますと、
登場人物の夕霧は、大阪新町の太夫で、もともと京都島原の「扇屋」の太夫でしたが、店の移転と共に19才で京都島原から大阪に移りました。その美貌と人柄から、もう「江戸吉原の高尾太夫」「京都島原の吉野太夫」と並び称される人気を誇ったそうですが、美人薄命、22才で病で亡くなったそうです。その夕霧太夫を偲んでつくられた浄瑠璃、歌舞伎は数多く、後に傾城物といわれるジャンルができたそのおおもとの方です。
「廓文章」は、その夕霧にいれあげたことで親から勘当された大店の若旦那の伊左衛門が、紙子(紙で出来た着物ですね。勘当されておちぶれた姿を現しています)、紙子を着て夕霧に会いに吉田屋にやって来ます。そして夕霧に待たされて、他の客に嫉妬したり拗ねたりするわけですが、そこでこの曲が長唄として使われるのですが、
この曲の「思わぬ人に身請けされて、もう、好きな男とも会えなくなり、辛いと思っていた廓での生活が、懐かしい」という雰囲気と「昔は良かった、今は会えなくて辛い」といいう伊左衛門の気持ちとがぴったり合うということから、月も出てきますし、秋っぽい淋しさを感じることもあるのだと思います。


ですが、この曲、元々は歌舞伎とは何の関係もなかった曲で、今でも純粋に舞として舞われていますので、歌舞伎のイメージに引っ張られないとどうなるかをみてみたいと思います。

詞章を辿っていきましょう。

「憂しと見し、流れの昔なつかしや」
この「流れ」は浮き河竹の流れ、自分の意志ではどうすることもできない身の上、遊女のことです。
「辛いと思っていた、廓に居た昔も、今となっては懐かしい」ということです。

「可愛い男に逢坂の関より、辛い世の習い」
「好きな男に会えた廓よりも、身請けされた外の世界の方が辛いのは世の習いかしら。」
舞でも、こうしてキセルを膝に置いたり、扇の骨を廓の格子として、格子越しに世間を覗くといったフリがありました。

「思わぬ人にせきとめられて」
遊女として流れていたところ、せき止められたので、身請けされたことを意味します。
「思ってもいなかった人に身請けされて」

「今は野沢の一つ水」
「今は野にある水、外の世界で一緒に暮している」

ここまでは自分の状況を述べています。
ここから、先をどう解釈するか。

「すまぬ心の中にも暫し、すむは由縁の月の影」
ここをどう解釈するかで、いろんな女性が見えてきます。

「すまぬ」は、透き通っていない心、重苦しい気分、「すむ」は住んでいる住まっている、とすると、
「重苦しい気分の私の心に、住んでいるのはあの人の影。」となるので、今の身の上を嘆いて溜息をつく女性の姿が見えてきます。

「すむ」を、住まうのではなく、気が晴れるという意味だけだすると、
「重苦しい気分が、パッと晴れて浮き立つのは月を見て恋しい人を思い出す時。」となるので、過去の恋をいい思い出にして、こんな暮らしも「まぁ、いいか」としている女性。

「すまぬ」を、すまない、申し訳ないと言う意味もかかっているとすると「囲ってくれてる人には申し訳ないけれど、人目を忍んで月影であの人と会う時は全てを忘れられる。」となるので、現在進行形で恋をしている女性の姿となります。

ですから、その後
「忍びて映す窓の内 広い世界に住みながら 狭う楽しむ誠と誠」
「こんな縁が唐にもあろか」「花咲く里の春ならば、 雨も薫りて名や立たん」 というところは、
あの頃はよかったと溜息をついている女性だとすると
「昔は、窓から月あかりが差し込む部屋で、片寄せあって誠を楽しみ合ったのに。
自由が辛いなんて、こんな皮肉な話は、世界広しといえども他にもあるかしら。
春の廓で、雨が香り立つようにあの人は浮き名を流しているのかしら。」となります。

こんな暮らしも「まぁ、いいか」と恋をいい思い出にしている女性だと
「窓から月を見いているとあの人を思い出す。今は広い外の世界にいるけれど、この小さな窓から楽しむのも私の心」
あんな素敵な恋は他にあるかしら。もし廓に居た時に人に知られていたら、春に雨が降って花の香が増すように、私達の仲は有名になっていたかもしれない。」ととれますし、

そして、現在も恋を継続中の女性だと
「囲ってくれた人に内緒で恋人と会う部屋の中、こんな広い世間の中でもこっそり楽しむ本当の愛。
やっと自由な生活を手に入れたのに昔の男と会うなんてこんな話は珍しいでしょうね。こんな事が春の桜咲く頃、廓の人の耳に入ったら、雨が音をたてるように一気に噂になってしまうかもしれない。」

と、言う具合に、真逆の女性像も解釈できてしまうのです。

このように、地唄や舞はいかようにも解釈できるように出来ておりますので、それぞれの方のその時の気持ち、感覚で自由にイメージを広げて頂ければ、より楽しんでいただけるのではないでしょうか。

皆様の妄想力で、是非御自身の解釈をつくって頂けたら、と思います。


「由縁の月」詞章
憂しと見し、流れの昔なつかしや、
可愛い男に逢坂の関より、辛い世の習い、
思わぬ人にせきとめられて、今は野沢の一つ水 
すまぬ心の中にも暫し、すむは由縁の月の影 
忍びて映す窓の内、
広い世界に住みながら 狭う楽しむ誠と誠、
こんな縁が唐にもあろか、
花咲く里の春ならば、 雨も薫りて名や立たん。

2015-5-21




身体について

身体について

身体の扱い、動きなどについて

舞を中心に日本の身体の使い方について思うこと、感じたことなどを綴ります。
科学的なことは断言できませんが、私のささやかな実感や推測を何かしらのヒントにして頂けましたら嬉しいです。

2014-3-15


方向転換の軸足

方向転換の軸足

右に90度向きを変える時、左右どちらの足から動くか

両足を肩幅に開いて立って、右に90度向きを変える時、あなたは左右どちらの足から動かしますか?
方向転換ひとつとってもいろいろな方法がありますよね。
「私は右利きだから軸足は左、だから先に右足を右に90度振り向ける」という方もいらっしゃるでしょう。
「行く方向の足から先に動かさないと後ろ足で蹴れない。だから右を向くときは右足から」という方もいらっしゃるでしょう。
では、左足から向きを変えてみてはどうでしょう?ちょっと内股みたいになってみっともないですよね。

2013年11月テレビで大相撲九州場所、新序出世披露をぼんやり見ていました。三人の少年が先輩の化粧まわしをつけて土俵にあがって正面向いて一礼。
東を向いて一礼、向う正面、西、正面、と90度ずつ方向転換したのです。その時三人のうち一人の少年の動きが他の二人と違うことに気が付きました。
二人は右を向く時に右足から向きを変えていたのですが、その一人は左足から向きを変えていたのです。
はっとしました。
実際に肩幅に足を開いて左足から向きを変えてみました。
そうすると、まず地面を蹴らないですみます。蹴らないということはそこに居つかないということ。
次に膝を緩めて同じ動きをしてみました。
自分が描く90度の弧が小さい、つまり転換の軸が短くてすむのです。右足から動くのとキレが違います。
最後に膝や股関節を意識してみました。
膝が捻じれないのです。右足から動くと残った左足に重心がかかりますが、体は右を向こうとしているので、重心のかかった足に捻じれが生じます。
左から動くとそういうことがありません。何故なのかよくわかりませんが、実際にやってみると膝に負担を感じない気がします。
それと股関節ですが、右足から動くと開きますが、左足から動くと開くことがありません。これは股関節が西洋人よりも閉じ気味についていると言われている日本人には向いている動き方なのかもしれません。

そうやって考えてみると、ここから先は推測ですが、もともとの日本の動き方は転換方向とは逆の足から動かしていたのではないか?ということです。
実際に舞の動きでもそのように動くことが多いです。

そういえば、テレビで(テレビばっかりですみません)バレエダンサーの熊川哲也氏が「最高に恵まれてたことは、僕の間接が凄い開いていたんですよね。(股関節を指して)ここの間接がもの凄い開いてる。(略)開き易い足だったんですよね、凄い。」と仰っていました。(BS朝日「ザ・インタビュー」2014年2月8日放送にて)

ということは、股関節があまり開いていない日本人の骨格に合った動き方というのがあるような気がする。
股関節だけじゃないかもしれない・・・。
腰、膝、股関節が痛むという話を最近とてもよくきく気がします。
私と一緒に周りの年齢もあがったから?と思っていましたが、80歳近い呉服屋さんのご主人は(ご自宅では常に正座で、仕事では十時間以上板の間で正座して過ごしたりすることもあるそうです)今迄一度も膝が痛んだことはないそうです。ええ~っ!

前世代の動き、昔からの動き、要研究ですね。

あ、前出の新序出世披露の少年力士、強くなって欲しいです。


そして、最後まで読んで下さいましてありがとうございます。

2014-3-15

肩甲骨で骨格は変る、かも

肩甲骨で骨格は変る、かも

いかり肩がなでらかに

また、骨の話で恐縮です。
舞を始めた頃、よく師匠に「肩の力を抜いて」と言われました。
自分としては抜いているつもりなのですが、何度も言われ、ついに
「あ、あなたいかり肩なのね。私と一緒だ。私も先生に同じこと言われたわ。そういう人は反対に肩を下げるように力を入れるの」
え?私はいかり肩だけど、先生はどちらかというとなで肩では・・?変なこと仰るなぁ、と思っていました。
でも言われた通りに肩にぐぐっと力をいれて舞うのですが、これが疲れる。
そのうち、どこかであの玉三郎さんも元はいかり肩だったのを、御自身で意識されて矯正なさったと聞きました。
嘘か本当かはわからないまでも、撫で肩になれば、力を入れなくてもすむかも、と思ってそれをかすかな望みにして肩に力を入れる日々。

しかも私の肩は前に出ている。そのうち単に肩を下げるのではなく、肩甲骨を後に下げることを覚えて、いつからか肩甲骨をより動かせるようになって・・・
あるとき、ハタと自分の写真を見て思いました。
「もしかして・・肩、少し下がったかも・・?」

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使用前使用後じゃないですけど、上と下、違いませんか?

着物の着方もあるかもしれませんが、でも、肩が下がると衿もキマるんじゃないかと思うのです。

見た目の問題だけではなく、気が付いたら肩こりがなくなっていました。
それに、NHKの「ためしてガッテン」では肩甲骨の動きが悪いと腱板がこすれて断裂しやすいと言っていました。(2014年2月5日放送より)

もしかしたら、肩甲骨を動かせるように頑張っていると、なで肩になるだけじゃなくて、他にもいい事いっぱいあるのかも。
あ、そういえば、NHKの「COOL JAPAN」によると甲野善紀氏が進学高のバスケ部を肩甲骨を動かしてプレイするように指導をしたら、バスケの強豪校になったとか。

テレビばっかりだわ・・

2014-3-15

年齢を重ねること、と古典芸能

年齢を重ねること、と古典芸能

どうして年をとると体が弱るのか・・?

私が興味をもちそうな記事を年に何回かコピーして送って下さるダンディーな先輩がいらっしゃるのですが、先日以下のような記事を送って下さいました。

「伝統舞踊でアンチエンジング 『はつらつ!健康 骨つぎの知恵袋 44』 足や腕などの筋力トレーニングに加えて足踏みをしながら手を回す。この運動を一日30分間、週3回、4週間続けると、記憶力など認知機能が改善するという研究結果が発表されました。(略)しかし、このようなリハビリを頑張るだけでは、続けていくことは難しいかもしれません。腕や足などの筋力トレーニングにかかわる一連の動作は、昔から伝わる伝統舞踊の中にみられ、日々楽しみながら、運動を続けていく方法として注目されています。(略) 日本柔道整復師会 森川伸治」(2014年2月18日、産経新聞掲載)

そういえば、NHKの「ためしてガッテン」の転倒防止の回でも足踏みをしながら体を触る体操が効果がある、とやっていました。(2012年12月5日放送-ちゃんと調べました!)

なるほど、確かに舞の名手には高齢になられても活躍されている方が多いですし、実際に私の師の師でいらした神崎ひで先生は84歳の時に国立劇場で「菊の露」を舞われていますし、同じく師の師でいらした山村たか先生は85歳で亡くなられる年に京都の文化会館で「出口の柳」を舞っていらっしゃいます。他にもご高齢でご活躍の舞踊家の先生方は大勢いらっしゃいますので、上記記事に書かれていることもあるいは関係しているのかもしれないですね。

舞に限らず能楽や歌舞伎の分野でも何でも、日本の芸能は年齢を重ねる毎に熟達されますが、それが子供の頃から当たり前だと思っていました。子供ですから、単純に長くやればやるだけ上手くなるのは当たり前だと思っていたのです。
しかし、バレリーナの世界は殆どが30代や40代で引退すると聞いてとても驚きました。スポーツの世界でも一定の年齢になると引退することが多いですよね。
「何故だろう」

誤解を恐れず乱暴な表現を用いるならば、「引退の早い分野は高度なテクニックを求められるものだから体力との勝負になり易く、日本の古典芸能などの引退の遅い分野は身体の一部に無理をさせることなく身体の扱いを極めていくもの」だからなのかな?と今のところは考えています。

どこで耳にしたかは忘れましたが、「『和』のものは60歳になって始めても(三味線の)音は並べられる。けれど、それを豊かにするのはどこまでも奥が深い」という言葉を聞いた記憶があります。
(確か地唄筝曲演奏家の方が仰ったような・・・)
日本の芸能の性格を端的に言い表しているようで、考える指針になります。

それにしても、どうして年をとると身体って弱るのでしょう。

先日、ふと思いついたのですが・・・
『幼い時期は、まだ体の扱いが不慣れで体は扱い難いし知恵もまだついていないけれども、純粋な心で世界を見て純粋な心でコミュニケーションをとって、その純粋さで守って貰い教えて貰う時期。
青年期は、状況が複雑になって心が迷ったり悩んだり苦しんだりするし、そんな心を楽にする程の知恵もついてはいないけれど、抜群の体力でとにかく必死に動くことで困難を乗り越える時期。
そして老年期は、長年の経験で身に着けた知恵をもって、思うように動かなくなってきた体や心をやりくりする時期。
つまり、心、体、知恵の三つが絶好調に揃う時期などないようにできている-そうやって人生の季節毎に条件が変って困難の乗り越え方のバリエーションを与えられている』
なんて考えてみたらどうかな、と思ったのです。

でもやっぱり、体が思うように動かない、痛みがある、というのは辛いですし避けたいですよね。
世の中いろいろとアンチエイジングの方法はあると思いますが、食べ物と一緒で、その時やってみたいもの、興味を感じたものにチャレンジしていくのがいいのだと思います。

私は日本古来の武道や芸能が好きなので、そういうのを選んで頂けると嬉しいです。
舞だったら、とっても嬉しいんですけど・・・・。

2014-3-29

楽で美しい歩き方考察

楽で美しい歩き方考察

昔からの歩き方に悩む


歩き方って侮れないです。歩き方次第では膝や腰を痛めたり、内臓にも影響があるようですね。
しかも、見た目だって格好いい方がいいいですよね。
ここが悩ましい。
洋服という西洋文化で発展してきた衣服を格好よく着こなすには西洋人っぽい姿勢や歩き方が格好いいに決まっています。
そして着物という日本文化で発展してきた衣服を格好よく着こなすには、当然日本人らしい姿勢や歩き方が格好いいです。
この使い分けが難しいですよね。

意識せずにできる人はいいんです。でも、私みたいに意識しないとできない人間はいろいろと悩んでしまいます。

西洋風の姿勢や歩き方は、いろいろなところで紹介されているのでわかりやすいです。
ですが、日本人らしい歩き方は私達よりちょっと上の世代だったら当たり前にできていたことなので、特に意識されてきていないせいか、すっごく悩みます。

まず、家の中での歩き方です。
畳の上の歩き方で印象に残っているのは、お茶のお稽古の時のことです。
踵から下ろす歩き方だとドスドスと音がたってしまい、「静かに歩きましょうね」と促されます。すると、足音は静かにはなるのですが、決まって次に「泥棒さんみたいに歩いてはいけませんよ」とご注意が続くのです。音をたてないようにすると、抜き足差し足になってしまうようです。
私は幸運なことにご注意頂くことがなかったので、もし私の歩き方が許容範囲内だとすると、母指球(足の親指の付け根のぷよぷよしたところ)を少し擦るように、蹴らずに並行に足を出すような感覚で歩くとよいのかもしれません。
先日、建仁寺の四頭式茶会のビデオを国立博物館で拝見したのですが(床は板敷)、御坊様が足の母指球から先を床につけたまますーっと滑らせるように歩いておられたのが印象的でした。とても美しかったです。

問題は、履物を履いた時の歩き方です。
私は幼い頃、ポックリは履いたことはあっても、下駄を履いたことは殆どありませんでした。
(家に鉄下駄がありましたが、当然、一歩も歩けませんでした。(笑))

大人になって雨下駄を買いました。二本歯になっているものです。が、歩きにくいことこの上ない。雨で足元が覚束ないのに更に歩きにくいのでは危ない、とすぐに爪皮付の雨草履を買い直してしまいました。

その後浴衣用に下駄を買う機会がありました。再び二本歯に挑戦するべく駒下駄を買いました。(ちなみに、雨下駄と駒下駄は歯は二本なのは同じですが、雨下駄には朴葉がついて歯も細く駒下駄とは違うものです)

下駄の歩き方を親や周りの年配者に聞いても「普通に歩けばいい」と言われるだけで、具体的にコツがわからない。いろいろ歩き方を試して調べて、やっと歩き方がわかりました。
「たたずまいの美学」(矢田部英正著・中公文庫)の74頁にあったのです。

「下駄が前に傾きかけた瞬間に、地面すれすれに足を出す」

歩きやすい!物凄く歩き易いのです。なんの力も要らない。体重移動を利用して歩くのですね。蹴らない歩き方なのです。これは楽です。

確かに駒下駄の前の歯の前方部分は面取りしてあって下駄を前に傾けやすくなっています。
(ゴムを貼って頂いているので、ちょっと分かり難いですが・・)



草履の場合はどうでしょう?

草履での歩き方は未だこれだ!というものが見つかっていません。
ただ、昔は俊敏な動きや長距離の移動には草鞋(わらじ)や足半(あしなか)を使っていたようなので、歩くための機能よりも脱ぎ履きし易くて、短距離をそろりと歩くためのものなのだろうと思います。
ある草履屋さんの職人さんには「親指と人差し指でちょっと前坪(鼻緒の真中)を挟んで、小さ目の草履を引っかけるように歩くんだよ」と言われました。
ある草履屋さんの方には「男が雪駄を履く時は引っかけるのが粋だけどね、女性の草履は前坪を指の間の奥まで入れちゃっていいんだよ」と言われました。
正解というのは無いようなので、自分で歩き易い履き方、歩き方を見つけるしかないですね。

ここでちょっと気になっている事があります。

寅さんの映画で武田鉄也扮する若い男性が「広かですねぇ、東京は。歩いた、歩いた」と右手で右腿をさすりながら言うシーンがありました。(「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」にて)

私は歩き疲れるとふくらはぎはパンパンになりますが、腿はさほど辛くないです。
これはまさしく、蹴って歩いている証拠です。
舞のフリでも沢山歩いたことを表現するのに腿をさするフリがありますが、決してふくらはぎはさすりません。
下駄の歩き方のように蹴らない歩き方で長く歩くと確かに足を前に繰り出すための腿に負担がくるのかもしれません。

ということは、ふくらはぎがパンパンになりそうだと思ったら、蹴らずに体重移動する歩き方に切り替えると、足の痛みを最低限に抑えられる、とは考えられないでしょうか。

古武術研究家の甲野善紀氏は「歯車も奇数にして毎回違う歯と出会うようにすると長持ちする」と仰っているそうです。
つまり、体の中も毎度同じところばかりを同じように使うとそこばかり傷んでしまうし、そこばかり鍛えられてしまって全体のバランスが崩れる。違う箇所を使って同じことができるように、一つの箇所でも違う使い方をして同じことができるようにすると体に無理なく同じ事が続けられる、ということだそうです。
甲野氏の弟子の飯田真弓女史は、「職業病になる人とならない人、疲弊する人としない人の違いはそこにあるのではないか」と仰います。「筋肉を鍛えるには、筋肉一本一本が一定方向だけの動きに特化しないように、色々な動きをして鍛えるしかない」と。

そういえば、先日のNHKのクローズアップ現代の内容を思い出しました。(2014年4月23日(水)放送)
宮崎大学医学部の帖佐悦男教授によると、今、子供に「関節回りの筋肉などが大人同様に硬くなる、いわゆる運動器の機能不全が増加している」そうなのです。それが、週に「10時間以上サッカーに打込んでいる運動量の多い子ども」でも、「ふくらはぎや太ももなどの筋肉が過度についてしまい、柔軟性や運動機能のバランスが損なわれている」ために、骨盤が前傾しなくて床に手がつかない、足首が硬くてしゃがめない子がいるそうです。「足首が悪くなると、ひざが悪くなったり、反対側の足首に負担がかかって、変形性関節症というような病気になってしま」うらしく、運動器の機能不全を「放置するとロコモティブシンドローム」になるリスクが高まるというのです。「とにかく1か所しか使わないというのは、絶対によくないですね。」ということです。(http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3489_all.htmlより)

そういう事を考え合せると、色んな歩き方を切り替えるようにするのはやはり体にいいことのようだし、ふくらはぎをはじめ足への負担を軽くできそうです。
ちなみに、前述の飯田真弓女史は体の使い方を状況に応じて変えることで、最近は歩き疲れることはないとのことです。

そういえば、蹴らずに前への体重移動で歩く-いわゆるナンバ歩きだと、学校で習う歩き方(右手と左足が出る、左手と右足が出る)のような体を捻じる動作がないので、使うエネルギーが少なく疲れにくいとききました。ある進学校のバスケ部はこの走り方を取り入れてスタミナ切れを起さなくなったそうです。(NHK「クールジャパン」で見ました。)

江戸時代の飛脚は一日150km走っていたそうですが(仙台藩の何とか源兵衛さんなどはなんと江戸から仙台まで一日で走ったそうです)、真弓女史の話やバスケ部の話を考えるとあながち大袈裟な話とも思えないです。

やっぱり、昔の人は蹴らずに歩くのが一般的だったのですね。

前重心と言えば・・
横綱の双葉山の摺り足は「足が後からついてくるようだった」と言われているそうです。(前述真弓女史情報)
つまり、前に重心をこぼしながら摺り足しているんですよね。

見た感じとしては、蹴らずに歩くと、右手と右足、左手と左足が同時に出る--蹴らないので縦揺れせず、どちらかというと横に振れる。
確かに、ちょっと前の怖いお兄さん達の歩き方を思い出すと、横には大いに振れるけれど、縦にはあまり揺れていない。

それに、時代劇などでよく目にする駕篭ですが、乗っている人は縄に掴まっていますよね。揺れるからですよね。縄は上から下っていますから、横揺れ対策ですよね。
ということは、駕篭やさんは「えっほ、えっほ」と言いながら、上下動のタイミングを合わせているのではなくて、左右への揺れのタイミングを合わせているということなのではないでしょうか。

以前、マタギの方は膝を緩めて狭い歩幅で走るように山を駈け下りると聞きました。大股で降りるよりも膝に負担がかからず、息も上がらないそうです。
なるほど、この日本列島という島は、大陸に比べて山が海の間近に迫っていて坂や山道だらけで、しかも広葉樹の森だから枯葉の腐葉土で、足元はフカフカ。湿気も多くて滑り易い。
そういう環境に合せて膝をゆるめて蹴らずに前への重心移動で歩いてきた、重心を下げて安定感を増すために足も短くなったのかもしれません。
そうやって、手足が短いのは四季豊かな森や山を安定感よく機敏に動くために長い時間をかけて手に入れたものであり自然が豊かであるがゆえだ、と考えるとちょっと誇りに思えませんか。

海外の方に「日本人は足が曲がっている」とよく言われるようですが、着物だと足なんか気にならないですし、着物姿はやっぱり頭がちょっと大きくて手足が短い方がずっと格好いいですよね。
(二代目市川団十郎は、三代目指名の時に体型を重視して実子よりも胴長短足である養子を後継ぎに決めたうです。)

なんか、「昔からの歩き方」をテーマに話があちこちとびましたが、
「膝をゆるめて蹴らずに前への重心移動で歩く」。
これをヒントに草履での歩き方を練っていきたいと思います。

本日も長いお喋りにお付合い下さいまして、ありがとうございました。

2014-4-27

蹴らない足さばき

蹴らない動きはなぜいいのか

蹴らない動き考

前回、歩き方の話で「蹴らない」という話題に触れたので、蹴らない繋がりで、ちょっと・・・

舞ではもちろん、蹴るような歩き方は一切しません。
それは伝統芸能でも同じで、殆ど蹴るような動きを見る事はありません。

しかし、武道では蹴る動きを見ることが殆どです。
以前は俊敏な動きを要求される武道では当然のことのように思っていました。
でも、よくみるとなんか違うように感じるのです。

先日の大相撲放送(5/19(月))で大鵬対柏戸の取組を見たのですが、やはり寄る時蹴ってない、腰から出ています。
以前の「方向転化の軸足」(2014-3-15)の文章の中でも書きましたが、向きたい方向ではない足から先に動かすというのは、「蹴らない動き」そのものです。

また、去年「蹴らない」ということを考え始めた時に、琴勇輝の立会を見て、琴勇輝が蹴らないことに気が付きました。「琴勇輝は蹴っていない。相手に倒れ込むようにしているから、立会が鋭いのだ!」と気が付いた時とても嬉しかったです。家の者がそのことをツイッターに書き込んだら、元横綱がその言葉を「お気に入り」にしてくれたので、そんなに外れてもいないと思います。

蹴らない動きと蹴る動きを比べると、蹴ると足が残ってしまうので、その足を筋肉で引き寄せる必要があります。蹴らないと股関節の角度そのままの形で体ごと動くので、足を引き寄せる必要がなく、ワンアクション分少なくて済む分動きが早く完結します。だから速い。

となると、俊敏な動きを要求されるものほど、蹴らない方がいいはずです。

スピードだけではありません。威力という意味でも蹴らない方がいいように思えます。
立会でも蹴らずに体重を前に倒すと、最初はゆっくりに見えても前に落ちるスピードは上がる一方です。相手にぶつかる時にはスピードが乗っているので威力がある状態です。蹴るとダッシュが効くように見えても蹴った瞬間が速いだけで、その後は失速します。
また、足が残るから体重の一部が足に残ってしまい、全体重を相手にぶつけられません。
蹴らないと体重全てを相手に乗せられる。

そんな全体重を相手に乗せていては、変化されたり叩かれたらすぐ前に落ちてしまうと思うかもしれませんが、蹴らないといっても、腰を置き去りにするわけではなく腰から出て行くので前に体重を落しながら歩くことを身に着けていればすぐに対応できるはずです。もしかしたら、それが摺り足なのかもしれません。
それが蹴ってしまうとその足を引き寄せなければならないし、腰も置き去りになりやすいから動きが大きくなりやすいし、やはり半径の小さい独楽の方が速く回りますから、蹴る動きは俊敏さからも不利なのではないかと思います。

では、何故蹴ってしまうのか。
私の場合は今までの人生経験の中で、蹴る方が当たり前の動きなので、つい蹴ってしまう。
蹴らない動きは意識して身に付けないとできません。

身体も駒と一緒で体軸や腰を中心に動く方がコンパクトで一か所に負担が集中しないので、きっと同じようにみえる動きでも蹴らない方が怪我や故障につながりにくいのではないでしょうか。

舞でも前体重のとき、後ろ足の踵にも体重をのせたまま腰ででないと、膝を壊してしまいます。
体中に体重を分散させることで一部分への負担を減らす動き、そういう動きは体にいいだけでなく、無理がないせいか心地よいんですよね。

そして、そういう体中が調和している形は文句なく美しいです。
きっと私達の何かの中に、そういう記憶があるのかもしれないですね。

2014-6-1


体総動員の勧め

体総動員の勧め

一部に負担をかけず楽になる + 新たな気づきで楽しい毎日

ここ一年お稽古に通って来て下さっている方が先日「胸で音を聴いているんです」と仰いました。
舞のお稽古では景色やモノを見る時「眼で見ないで、胸に目がついているように胸で見て下さいね」と申上げているのだけれど、どうやらそのことらしいのです。
「胸で音楽を聴くと、違う世界がみえてくるんです」と仰います。
その方はオーケストラで楽器を弾いている方なのですが、音楽をやる人がそんな風に舞の稽古を生かしているとは新鮮な驚きでした。

稽古会でも体験教室でも、体全体を連携させて使うこと、そのために体全体を使うことを体感してもらうこと、そうやって体内に意識をもっていくことで体の中のセンサーの数を増やして、体を使う様々なことの「コツ」(骨の扱い)を掴む手掛かりにして頂くことを目的の一つにしています。

私自身もそうですが、はやり人間、楽をしたいんですよね。しかもてっとり早い楽をしたいんです。
だから何かするのでも一番得意そうな部位にやらせて他はお休みさせちゃいます。
分業している方が効率的な感じもしますよね。
何の話かわからないですよね。

例えば・・荷物を持つ時。
何かを掴んだり持ったりするのは手でないとできないですから、手で持てそうなものは手で持ちます。余程重ければ担いだり、背負ったり、頭にのせたりもしますが、でも結構重いものも手で持ちます。
ですが、手だけで持っていることが多いので、その荷物の重さの無理が関節やら腰やら弱いところにき易くなってしまいます。
でも、折角背筋という大きな筋肉があるのですから、背中も使って持てばもっと楽にもてるのです。
具体的には肩甲骨を下げて、腕と体(ボディ)をロックして繋げて荷物を持てばいいのです。そうすれば腕にかかった重さは腕だけでなく、背中を通って全身に散ります。全身が負担してくれるのです。

例えばその2・・階段を昇る時。
足を持ち上げて階段を昇る。持ち上げた足を置く時に、バタンとかドタンとか音がしていませんか?バタンと足を置いて、膝を伸ばすことで体を上に持ち上げて、また後ろ足を持ち上げてバタン。片足に全体重がかかるような感触があって体が重いと感じる方は、是非上半身も協力させるようにしてみてください。
足だけでなく上半身も一緒に階段を昇るのです。
具体的には空からお臍に糸がかけられてそのお臍の糸を空から引っ張られるようにイメージして、できれば爪先立ちで階段を昇ってみて下さい。ツーッと空から引っ張られるように。そうすると、足の負担は軽くなって踏み段に体重をバタンと乗せずに楽に階段を昇れるようになると思います。

世の中にはいろんな健康法があります。情報もたくさんあります。NHKの「ためしてガッテン」で紹介される健康法だけをみても沢山有りすぎて覚えきれないし、やり続けられないです。
ですから、一つだけ「体は総動員させる」。
総動員させて、一か所に無理をさせないで長持ちさせる。シンプルにこれだけを考えて「今、一部分だけになっていないかな?」とチェックするようにしてはどうでしょうか。

体はきっと体中が連携して機能するようにできていて、それを特に意識して使えば一部分の負担が減って故障が減るでしょうし、連携することで機能面に限らず思わぬ効果も得られるのだと思います。その思わぬ効果に気付くこと体感することが嬉しくて楽しくて、私は舞をやっているのかもしれません。
前述の「胸で音楽を聴く」方も、その気づきがとても嬉しくてそれをヒントにいろんなことを考えたり試したりしたくなったと仰っていました。

その「胸でモノを見る」という教え方ですが、これは目でみると首より上にだけ意識がいって表現が表面的になってしまいます。でも目が胸についているとイメージすると、お腹の感情を体全体で表現できるし、何より自分の意識をより深く広げていくことができるのです。
意識が変われば体は変わりますが、体が変わると意識も変わるのです。
此の辺りは言葉では何とも表現し辛いです。百聞は一体感にしかず。一度やってみて頂くとわかると思います。

また、体感したことからの実感も人によって様々です。
最近は和服でもウエストで紐を結ぶ方が多いのですが、24時間和服で過ごしていた人達が何百年も腰骨で紐を結んでいたのにはそれなりの意味があるはずです。それを体感するために稽古会や体験教室では腰紐をお配りして骨盤の前に巻いて頂いているのですが、「気持ちいい」「しゃんとする」「体が楽」「腰が安定する」「しっかり動ける」など感想は様々です。皆さん言葉では言い表せない何かを感じていらっしゃるようで、腰紐を巻いたことによる気づきも発想の広がりも人それぞれです。

体感して気付くことが何より楽しいし、それによって体が楽になったり、違う世界が見えたり、舞でちょっと豊かに表現できるようになったり・・・そういう喜びを多くの方に体験して頂きたいし、体の中を意識することで体の中のセンサーを増やして頂いて、よりよく体を扱って色んな分野でより「コツ」を掴んで頂きたい、そのために私も色んなことを気づいていきたい、と思っています。

そして体総動員という考えで世の中を考えるとですね、得意そうなところに任せっきりにして分業制にするよりも、得意そうなところを中心にして皆で協力した方が、なんかうまくいくような気がするんですけど・・・
どこかに無理させて弱いところが壊れちゃうより無理しない程度にみんなで頑張る方が・・・ね。

2014-11-14

肉の発想、骨の発想

肉の発想、骨の発想

”我(が)”と調和、個と連携


先日1月23日に行った舞の体験教室中、「骨盤をたて」たり「肩甲骨を下げる」と体にどんな違いがあるのかを二人一組になって行った時、その説明として「こうやって腕とボディが連携し、ボディと下半身が連携することで、腰やお腹から出る動きが末端まで繋がるんです。」と言いながら、つい「連携させないと“我(が)“で動かすことになりますから腕は腕、足は足で動いてしまうんです。」と付け加えました、というより付け加えてしまいました。予定していない言葉だったけれど、心の中で「そんなに間違っていないな」と確認していました。

でも本当に間違っていないのか。どうしてそんな事を言ったのか。頭の中を整理するためにも、ここで綴ってみたいと思います。


言うまでもなく、日本では昔から体の操り方として「筋肉」よりも「骨」をいかに扱うかを重視してきました。目に見えない大切なポイントのことを「コツ(骨)」と言うように、骨の扱いが鍵を握っているのです。
骨の構造は女性も子供も老人も体格の大小にかかわらず皆一緒です。ですから、骨の構造を利用した身体躁術を身に付ければ、体格に恵まれなくても、高齢で体力が落ちても、そこにある「骨」の扱いを工夫することで身体能力をあげることができます。自然におちていく筋肉にあまり無理をさせなくてもいいのです
「骨」をうまく扱うことで体中を連携させることでき、体の力の意識をうまく扱うことで流体のように力がかけられるようになるのですが、それらは体全体をいかに一つとして扱うかを大切にしているので、「調和」のための発想と考えることができると思います。


具体的にみていきたいと思います。人間の体は筋肉に頼る動き、骨格を利用する動き、と単純に分けることはできないと思いますが、わかり易く考えるために、あえて比較して考えてみたいと思います。


「肉」の動き、これは一言でいうと力に頼る動きです。人間、無駄なことはしないようにできているので、必要最低限の労力で目的を達成できるならば部分部分で動きます。紙を一枚手に取る時には腕だけで持ちます。ですが、紙を三千枚手に持つ時にはどうでしょう。紙一枚の時の体の使い方の延長で腕から肩の筋力で何とかしようとしているのが、力に頼る動きです。
同じく紙三千枚の時に、肩甲骨を下げて背中と腕をロックして背中の筋肉も動員して、できれば骨盤も立てて足腰全体も使って持つのが、「骨」の動き、体を連携させる動きです。

反面、「肉」の動きはいわば個々に頼る発想ということができます。個々の力、いわゆる筋力をあげて問題に対処しようとします。また、力で何とかしようとするので、自然と足元はしっかりと地面を踏みしめます。そうしないとどこかに力が逃げてしまって相手に伝わらないように思えるからです。ですが、地面を踏みしめるということは、踏ん張っているということで、自分の動きの中心を定めてしまうことになります。そうすると全ての動きは自分が中心となり、相手に合せた動きができなくなります。自分と相手が別物として対立するので、自分が踏ん張ることで相手も踏ん張る、自分が頑張れば頑張る程、相手もその作用を受けて強くなる。相手を強くしているのは自分自身だという形になります。同じまた体内に目を移すと、個々の部位で動くので個々が対立を起し、弱い部分(関節など)に負担がかかって怪我を引き起こしやすくなります。

例えば、和紙を手で裂く時に、踏ん張っていると紙を真直ぐに裂くのは難しいです。ふわふわと風で簡単に靡いてしまう和紙に自分を合わせるのが難しいからです。また、1mばかりサッと右に移動する場合、踏ん張っていると左足で地面を蹴って移動することになります。左足で地面を蹴るということは、移動したい右と逆方向である左方向に地面を押しているうえに最後にその足を回収しなければなりません。左足だけ逃げ遅れる形になります。軸が大きくなってスピードが落ちるだけでなく、相手が刀で襲ってきたら左足は斬られてしまいます。そして、誰かと向き合って肩の高さで互いの両掌を合わせて立ってみて下さい。自分が右肩でその手を押すと、相手は左肩でその力を押し返します。自分が腰で両手を押すと相手も腰で押し返してきます。

「骨」の連携を重視するならば、1mの右移動も蹴らずに移動するので体全体を一気に持って行くことができます。また、体全体をひとまとめにするので踏ん張る必要がなくなります。そうすると、相手に合せた動きができるのです。和紙を裂く時は和紙に体を合わせるので、簡単に真直ぐ裂くことができます。重い物を右から左に動かす時は動かす物に自分を合わせて動かす物を中心に自分と動かす物を一体化するので、楽に動かます。水が満々と入った大きなタライを右から左に動かすことを想像してみて下さい。踏ん張っていると、チャッポンとこぼれてしまいますが、タライの水を中心に体を動かせば一滴も溢さずに移動させられると思います。これは相手である水と調和しようとする姿勢であるといえます。また、誰かを動かそうとするときに、その人の腕をとって連れて行こうとすると、その人はつんのめるように爪先にストップがかかってしまいますが、その人の腕と馴染むように腕をとって踏ん張らないようにして自分が動き出すと、その人の足も自然に前に踏み出します。自分とその人が調和して一体になるので、無理なく一緒に動くのです。

武術的な面でいえば、「骨」の連携を重視した動き方をすると、踏ん張らないがために、相手と調和して一体化するので、動き出しの気配が相手に分からない。相手に自分の情報がいかないので、相手はこちらの動きを抑える動きがとれません。また、踏ん張らないので居着くことがなくなり、支点自体が動くために力技に持って行く必要がなくなります。

このように、「肉」で動く発想には、個別に考える姿勢や、自分がその場に踏ん張って自分中心(=“我“)で他の物を動かそうとするという姿勢があるように思えます。理解しやすいけれど、ちょっと強引なイメージがあります。
反対に「骨」で動く発想には、いかに連携して全体として最大の能力を出すか、相手と調和することで結果を得ようとするか、という姿勢があるように思えます。捉えどころがないけれど、無理がないイメージがあります。


そして、その「連携・調和」の発想は日本を代表する哲学者である西田幾多郎が日本文化の特色とするところの「己を空しくして物を観る、自己が物の中に没する」ことに繋がるものではないかと思います。つまり、それはあらゆるもの、あらゆる人と一つになって自分を空(くう)にしている、半跏思惟像のような心に繋がるのだと思うのです。
日本古来の「和」という精神は相互扶助の精神だといいます。とするならば、日本古来の考え方は「対立するのではなく、調和するべく」もっていくこと、自然との調和、他者との調和を大切にしてきており、そのために日本語は他者との対立を避けられるような曖昧な言い回しが沢山あるのではないでしょうか。

ですので、「骨」の発想には単なる身体躁術を超えた、生きる姿勢のようなものを感じるのです。


とするならば、体と心の「調和」のためには、単に「骨」はこう使うということを稽古するだけでななく、心も同じように成長させなければいけないのではないか、と思います。

以前、古武術の稽古会に参加した時のこと、二人一組になって、相手の斜め後ろに立ち骨の構造を使って体を纏めて立って苗木が育つような気持ちで両腕を広げると、相手がどんなに踏ん張っていても相手をどかしてしまうことができるということを学びました。不思議なことに、何度かやっていると腕が相手の体にあたった瞬間、その接点を意識してしまうことがあり、腕を意識するともう駄目なんです。相手をどかすことができない。踏ん張った相手にこちらがどかされてしまう。
自分の意識はつまり“我(が)”です。自分の腕と相手の体の接点を意識するということは「どかしてやろう」といういう意志をもつということです。
“我(が)”があるか、ないか、で同じ動きをしていても相手を動かせたり動かせなかったりする。それは、意識一つで体の動き自体が変るということを意味しています。

また、松久宗琳という仏師のお弟子さんが仰っていたという話で、「きれいに彫ってあるけれど、なぜか手を合わせたくない」仏像を彫る人がいるそうです。「『俺が、俺が』と我(が)のあるうちは”〝我(が)“のある仏様になってしまう」と。作品にその人となりが自然と出てしまう。作品や体の動きも、その人自身だということです。

体そのものの動きを変えるためにも、そして自分のためにも、”我“を失くすことが大切で、そうすることで少しでも「調和」に近づけるようになるのではないか、と思うようになりました。

でも、頭でわかっても、なかなかできない。だからこその精神修養であり、修行なのかもしれません。


千日回峰行を満行された塩沼阿闍梨はご自身の著書で次のように仰っていました。
「(読経は)厳しく叱られるくらいでないと上達しません。古参の人たちはあえて不条理なことを言って鍛え上げてくれるときもありますので、絶対に自分の感情を顔や態度に出せません。また自我を取る訓練みたいなもので、言い訳をしない周囲の雰囲気を壊さないことを繰り返しているうちに、内面的な部分が成長してくる。」
なるほど、と思いました。
“我”をとるために特別なことは必要ないのです。日常にも目上の人や周りの人と接する中で、理不尽なことに対してどう向き合うか、きっとそれでいいのです。そしてもしも、言い訳を許されないような厳しい環境に身を置くことがあったら、「”我”を取るための特別訓練。二階級特進できるかも。」と思えばいいのでしょう。
言い訳が許されないような場所に対しては、何か強権的な感じがして受け入れ難いようにも思いながら、その反面厳しく鍛えられることに少なからず魅力を感じていましたが、どうしてそのような厳しい雰囲気が必要なのかがわかりませんでした。
塩沼阿闍梨の言葉で、本当に「はっ」としました。有無を言わせない師弟関係というものには、このような意味があるのか、と。

ふと、以前見たテレビ番組の一場面を思い出しました。
大砂嵐関がまだ入門間もない頃、勝負が決まった後の駄目押しを大嶽親方に注意された時に言い訳をしようとした大砂嵐関に対して親方は「素直に『はい、すいません』じゃないの?素直、謙虚な気持ち(が大事)。」「相撲も頑張る、でもね、そういうところ(心)も頑張る。」と言ったけれど、大砂嵐関は納得していませんでした。後で取材班が聞いたら「説明は必要ないんですね。エジプトではまずなぜそうしたのかを説明します。でも日本ではすぐに謝らなくてはいけない。」と言っていました。親方は愛される力士になってほしい一心で厳しく素直と謙虚を教えようとしていました。
(2012年8月17日放映 NHK 20min. 「SUMOは心でとれ ~熱血親方とエジプト力士~」より)

心の成長に限りません。“我”をとることで、状況や環境に自分を合わせる調和させる技にも影響してくるのだろうと思います。

例えば、武術では、思ってもいなかったような場所で、思ってもいなかったような状態で、相手と対峙せざるを得なくなることもあるかもしれません。どんな状態でも、最高のパフォーマンスができなければ、命がなくなることだってあったわけですから、“我”をとるということも同時に稽古しなければいけなかったのでしょう。

舞などの稽古は、自分本位な体の動かし方を、“我”を捨てた動かし方へと変えていく過程であり、それによって得た気づきによってまた心が育つ。

健全な肉体に健全な精神が宿るというよりも、成長した精神あっての身体躁術なのかもしれません。

そして、神に捧げる舞や命がけの戦いの基本となる体の扱い方の根本的な考え方が、「対立しないこと、自分本位を捨てて他と調和すること」であることは、今一度深く受け止めたいことだと思います。

2015-2-1
2015-2-4 全面修正)

その他

その他

雑多なことについて
曲目でも身体に関することでもないことについて思ったこと、感じたことを綴ります。

2014-3-15

舞に一番影響する小物

舞に一番影響する小物

お稽古用にそろえる時に、一番こだわるものは?

お稽古用にいろいろと揃えるといっても、小道具といえば扇とあとは着るものです。
とすると、やはり一番こだわるのは扇、ということになるかもしれません。
が、お稽古扇は各流儀で定まったものを使うのが普通ですから、個人がこだわるのは難しいですよね。

となると、一番こだわって頂きたいのは「足袋」だと私は思います。
特に自宅で稽古する時、お稽古しないよりは寝間着でもスカートでもいいからお稽古はした方がいいに決まっています。
でも、その時、裸足や靴下ではそういうお稽古は変な癖がつきやすいのでしない方がいいと思います。
せめて足袋だけは履いてお稽古して頂きたい。
私自身、自宅での稽古の時に足袋を履くようになった時に、確かに体の中の何かが変わった気がしました。

そして、できれば御自身の足に合った足袋を履いて頂きたいと思います。
誂えでもセミオーダーでも、是非一度専門店で自分の足に合う足袋がどういうものなのか実感して頂いて、その足袋で舞ってみて頂きたい。
全然違うんです。
そして、汚れが落ちなくなったら、ご自宅での稽古で使ってみてください。


↑この足袋はキャラコ生地でなく木綿地です。
 とても履きやすいですが、キャラコの青みがかった真白さに比べると
 少し黄身がかっているようにみえます。
 写真の足袋は新品ですが、ちょっと皺がはいっていますね。
 これはいつでも履けるように既に三度洗ってあるのです。
 この皺が私には足に馴染む目安になっています。

あと、できれば・・・
ご自宅のお稽古で、もう一つこだわって頂きたい小物は「腰紐」です。
着物を着なくても腰紐を腰骨の前を通るように結んで下さい。
腰紐の結ぶ位置には大切な意味と役割があります。
試しにウエストでなく腰骨の前を通るように結んで、雑巾がけしたり重い物を持ってみたりしてみて下さい。
腰骨の前を通るように結ぶとボディ全体で動くような感覚があって少し楽ではないでしょうか?
動かなくてもウエストを締めていると食事も深い呼吸も制限されますが、腰骨の前だとそういう制限から解放されて、でも自分の中に核ができたようなしっかり感がでませんか?

そしてその腰紐、丸い縄ではなく平たい布で、出来れば前面に芯が入ったようなもの、なければ伊達締めを半分に折ったようなものだと、そういう感覚は一層掴みやすいのではないかと思います。

私も稽古会でお洋服でお稽古なさる方には腰紐をお貸しして、必ず腰紐を結んでお稽古するようにしています。
ここに気がつくまで、私自身随分遠回りをしました。
だからこそ、他の方にはできるだけ近道を歩いて頂きたい。

騙されたと思って、ちょっと試してみてください。


↑恥ずかしながら、私が使っている紐をご紹介します。
左から

  • モスリンの紐    (モスリンは毛100%です。平たい紐で、正絹でも
  •            木綿でもキチッと締まるので、腰紐にお勧めです。)
  • 正絹の紐      (ふわっと肌触りが優しい紐です。腰紐よりも胸紐
  •            として使うことが多いです。)
  • 正絹のキンチの紐  (キンチとは楊柳のことです。キッチリ締まります。)
  • 正絹のキンチの紐芯入(キンチの紐に衿芯の三河芯を自分で縫い付けたもの
  •            です。キッチリ締まって平らなので腰紐に使います。)
  • 正絹の伊達締(細) (正絹の中に芯が入っている伊達締めです。細いので、
  •            袷の時期の腰紐に使っています。)
  • 正絹の博多織の伊達締  (通常の伊達締です。)
  • 正絹の博多織の伊達締(幅広) (通常よりも幅広の伊達締めです。重めの着物の
  •                 時に使っています。)

上 左から

  • 三角畳み  (平らな紐をしまう時は、このようにおむすびのように△に畳み
  •        ます。こうすると皺が伸びて次も気持ちよく使えます。)           
  • 丸める畳み方(幅が広いものは丸めます。長さがあるものは二つ折りにして中心
  •        から丸めます。これも皺が伸びるので、お勧めの畳み方です。)

2014-3-15
2014-6-17(補)

直接学ぶ重要性

直接学ぶ重要性

書物からだけでなく直接学ぶことが大切なのはなぜ?

先日、東京国立博物館で開催されている特別展「栄西と建仁寺」を観て来ました。

栄西が書いたと言われる「隠語集」の音声ガイドの説明で「書物から学ぶだけでなく、師から直接弟子に伝える修業が大切だ」という趣旨のことが書かれていると聞きました。

今の時代で考えると本やテレビやネットとかそういうバーチャルなもので学ぶ事に言い換えられるのかもしれませんが、なぜそれだけでは駄目なのでしょう?

知識を仕入れるだけでは、わかったつもりになり易いから・・・?
思い込んでしまうから・・・?
そもそも「学ぶ」は「真似ぶ」に通じるから・・・?

そういえば、NHKのBSプレミアムの「赤ちゃん、脳と体の成長の神秘 ~驚異の適応力をとらえた~」という番組で印象的な実験をやっていました。
米国シアトルのワシントン大学のパトリシア・クール教授の研究で、
母国語の聞き分け能力が高まってきて外国語の聞き分け能力が失われていく時期である、
生後9か月の赤ん坊を対象に実験をしていました。
ビデオで25分間、12回(4週間)中国語で語りかけた後、
ビデオ学習をした赤ん坊と何も学習していない赤ん坊に同じテストをしたところ、どちらも同じ結果だったそうです。
同じ内容の事を実際にビデオに出演していた中国人と対面で同じ内容のことを
対面で25分間、12回(4週間)中国語で語りかけた後、
対面学習をした赤ん坊と何も学習していない赤ん坊に同じテストをしたところ、対面学習をした赤ん坊は中国語の高い聞き分け能力を示したそうです。

つまり、ビデオを介した学習では身に着かないけれど、人との関わりで学習したものは身に着くということなのです。

確かに人間の長い歴史を考えるとビデオはもちろん、書物にさえよらない時期の方が遥かに長いのですから、人との交わりが脳に強く影響するというのはわかる気がします。

そうやって考えると、栄西が言う「書物だけでは駄目だ」というのは、単にわかったつもりになり易いから、とか思い込みが問題というだけではないのかもしれません。

また、その実験は学習に関するものでしたが、脳への影響の強さがそうならば、心への作用も同じような事がいえるのではないか、と想像してしまいます。
刑罰の中でも独房に留置されるのは、精神的に非常に辛いことだそうです。

やはり、人間は人との関わりの中でしか幸せになれないようにできているのかもしれませんね。


またもテレビ情報が中心になってしまいました。
私もかなりバーチャルに情報を仕入れております。
気をつけなくちゃ、ですね。

2014-4-6

私の整理法

私の整理法

足袋とリボン

仰々しいタイトルをつけてしまいました。
先日、新品の足袋に印つけをしたので、ちょっとご紹介しようというだけのことです。

足袋を二足三足一緒に洗うとどれとどれがペアなのか分からなくなってしまうことがありました。何となく気持ち悪いので、今は足袋は新品のうちに印をつけることにしています。



コハゼの下の履いたら隠れる場所に色を変えて十字に印をつけています。
器用な方ならお花とか蝶々とか刺繍みたいに縫い方を変えても素敵ですね。


次は、リボンです。
頂いた品物とかについている綺麗なリボン。頂き物でなくても、やっとの思いで買った品物を綺麗に飾っていたリボンは思い入れがあったりして、勿体なくてとっておきたくなるのが心情ですよね。
私も箱の中に入れておいたのですが、ぐちゃぐちゃになってしまって苛々イライラ・・・・
そこで、ふと思いついてストローに巻いてみました。

これが意外によかったので、ご紹介します。
・リボンの長さによってストローの色や本数を変えれば、一目で長いもの、短いものがわかる。
・しまう箱の長さに合せてストローをチョキンと切ればすっきり納まる。



ちょっと気に入っています。

2014-4-20

稽古曲再生機器今昔

頭出しが断然楽になった方法

生演奏→カセットテープ→MD→そして・・・

舞に限らずバレエやダンスでも、レッスン時の曲の再生をどうするか、は同じような状況にあるのではないでしょうか?皆さんどうしておられるのでしょうか?


【生演奏】
昔は舞の師匠は三絃を弾き唄って下さる方が付きっきりでした。
また、師匠が自分で三絃を弾き唄いながら舞の稽古をすることもありました。実際私の手元にも師匠の師匠でいらした人間国宝の山村たか先生の弾き唄っていらっしゃる音源が何曲かあります。
生演奏なので、どこからでもすぐにやり直せます。
が、演奏専門の方をお願するのはとても贅沢なことですし、気軽に稽古ができません。
では師匠自身で弾き唄えばいいかというと、それでは手本を見せられません。


【テープ、カセットテープ】
ですから、リールのテープが出るとテープに録音した音源を使っての稽古が広まりました。
リールのテープからじきにカセットテープになって、より安価で扱いも手軽なものになり、すぐに一般的になりました。
それからはカセットテープに録音してそれを再生することが長く続いています。

ですが、このカセットテープの不都合はテープを巻き戻す時間です。
また、無音部分を検出させること以外に頭出しができないので、狙った部分を探すのはなかなか大変です。
特に地唄は曲の中で「間」が空くことがあるので、曲の中で無音部分を勝手に検出されることもあるのが厄介で、頭出しの手間を考えてA面に一曲B面に一曲と、一本に二曲しか入らないので、何曲も持ち歩くには結構な荷物になるという難点があります。


【CD】
その後CDが出ましたが、家庭で手軽にCDに録音できる機器が普及していなかったため、CDはあくまでレコードの後継として扱われ、稽古とは無縁でした。


【MD】
そしてその後にMDが、カセットテープに代わるものとして登場してきました。
これは画期的でした!
カセットテープのように自分で簡単に演奏を録音できますし、何よりデジタルですから曲の途中で分割して頭出しし易いようにしたり、演奏前後の不要な部分を切り取ったり、名前を付けて一本のMDの中から狙った曲、その曲の頭出し部分をすぐに探したり、MDの中での演奏順序を入れ替えることも簡単でした。それらが機器でじかにできるのです。
頭出しが簡単ですから一本の74分なり80分なりのMDの中に何曲も録音できますし、4倍モードにすると320分も録音できるのです。一曲10分なら一本に32曲入れられます。

何よりMDの特徴として際立っていたのは、ファイルとファイルの間がギャップ無く再生するということです。いわゆる「ギャップレス再生」です。
一曲をA部分B部分C部分と、いくつかのファイルに分けておけば、ファイルの分かれ目が分らないようにスムーズに再生しますし、B部分以降再生したければ、そのファイルから再生すれば簡単に頭出し再生ができるのです。
また、曲名も「タカサゴー2 ナミノ~」「タカサゴ-3 -ヨルベ~」など題名と歌詞を組み合せて曲名をつけて分けておくと、頭出しをしたい部分をすぐに見つけられます。
MDは稽古には最適だ、と思われました。

ですが、今もはやMDスロットのある機器は全く販売されていません。供給元であったSONYがMD撤退を決め、生産停止になったからです。

今や音楽の楽しみ方はメモリ媒体になりました。時代は変わったのです。

MDが無くなる今、どうしたらよいか、途方に暮れました。
部品があるうちに、とMDプレイヤーをSONYに持込んでMD信号読み書きユニットを新品に交換してもらったり、MDスロットがあるミニコンポを2台も買ったり、MDに執着するもいずれは消えゆく運命・・・。



【再びCD】
CDで何とか頭出しして稽古できないかと試みましたが、CDはギャップレス再生ができない機器が殆どなのです。また、少し前に戻る少し後ろに進むなどの機能がない機器もありますし、CDプレイヤーは外出先での稽古では会場で借りるため、それらの機能は無いと考えなければなりません。もちろん曲名は表示されず、1曲目、2曲目、といったトラック番号の表示だけです。どの部分が何曲目かわからなくなってしまいます。
録音方法を工夫していろいろ試したりもしましたが、どうにも使い難いです。


【MP3】
パソコンでMP3ファイルにしてモバイル機器で再生しても、一曲のうちのA部分B部分の間にどうしてもプチっと無音時間ができてしまって、一曲としてつなぎ目がわからなくようなことはできませんでした。



ですが、やっと見つけました!!


【ウォークマンもしくはipod】
ATRAC、FLAC、WAV、AIFFなどの形式の楽曲であれば、ウォークマンでギャップレス再生が可能なのです!!(http://qa.support.sony.jp/solution/S1204109003814/
ipodでも可能なようです。(http://support.apple.com/kb/HT1797?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP

そして、ウォークマンやipodからワイヤレスでスピーカにとばす!

これは凄く使いやすいです!
私はウォークマン(S780シリーズ)を購入したのですが、MDのように一曲を分割して名前を付けて、再生する。そしてウォークマンをストラップで首にかけて帯に挟めば手元で操作できます。いちいち機器まで操作をしに戻る必要もなし。
Bluetoothを使ってコードレスで音を出せば、自由に動けます。
そしてスピーカは10W以上のラジカセ並みの音量を出せるものが400gなんです。(JBL FLIP2)
この組み合せならば、どこへでも持ち歩けます。
もう、会場でプレイヤーを借りるための心配は要らないのです。
しかも、名刺サイズのウォークマンに何千曲も入るのです。もちろん稽古曲全曲余裕で入ります。
他にもビデオを再生してフリを確認したり、FMは災害時の情報収集にも使えます。


↑よく使う「再生・停止ボタン」「戻りボタン」を手探りで押せるように、ネイル用のシールを貼りました。

録音はICレコーダなどから録音しますし、曲名のインプットや編集などはパソコン上での作業が必要になりますが、これでMD消滅に伴う悩みが一気に解決しました。

頭出しでお悩みの方のご参考になれば幸いです。

むふむふ・・

2014-5-16

日本古来の育成法

日本古来の育成法

全員参加型の現場主義


日本では、ついこの間まで、新人に何かの技を習得させるときにすぐに現場にいれるという方法が取られてきました。手取り足取り教えるのではなく、下働きという形であったり、手伝いという形であったりして、職人の世界しかり、芸術の世界しかり、料理人や僧侶の世界でも基本的には同じような育成方法でした。
師匠と弟子という個人のつながりの中で、師匠の技を「見て盗む」ということが奨励され、手順を追って教えるということはあまりありませんでした。

西洋式の育成方法に慣れ親しんだ人から見ると、教える側の手抜きに見えたり、教えるためのカリキュラムが整っていないせいだと思えるかもしれません。私も以前はそう考えていました。

しかし、すぐに現場に放り込む方法にもいろいろな点で意味がある、ということがだんだんとわかってきました。

まず、第一に主体的に動けるようになるという点です。

入ってすぐ最先端の現場に放り込まれると、新人は何がなんだかよくわかりません。
よくわからないので、何ができるのか考えます。雑用をいいつけられます。何故雑用なのか不満と共に考えます。専門的なことをやる機会があってもできません。誰も教えてくれないので、周りを見て見よう見真似でやります。
常に主体的に考えなければならない状況に身を置くことになり、技を習得するために何が正しいか間違っているかという基準すら自分で見つけることになります。
ここが重要なのです。

技というものは頭の中だけではなく身体で行うものですから、主体的に何かをするということがとても大切なのです。
しかも、技というものは身体の中が大切であって外見上で整えても意味がありません。
体の中の感覚が意味を持つので、受け身であっては何物も会得することはできないのです。
また、伝承を受け継ぐという点でも、体内の感覚を受け継がなければいけないのですから、主体的な姿勢がなければ劣化コピーしていくだけです。伝言ゲームのような結果になりかねません。本質というものを各人が努力して会得しないかぎり、こと体の内部の感覚の問題ですから、主体的でなければ、技を会得して次に伝えることはできません。

第二に、言葉で表現できないものを早く教えることができるという点です。

「論理性」(ロジカル)ということの原点は「言葉に矛盾がない」ということですが、言葉は同じ瞬間に二つと発することができない二次元の存在、直列にしか存在しないものです。
ですが、身体は三次元のものです。技というものは身体の動きと精神や心、意識との協働によって出来ており、並列処理しうるものなので、それを言葉という二次元、直列の存在で規定したり表現したり伝えたりすることは、難しいといわざると得ません。
ですから、技を習得する場合も「見取って盗む」ということが大前提にあり、多くを言葉で説明はしません。
言葉を用いるということは頭で考えるということですが、素質のある人は頭で考えて順を追って学ぶよりも、見取る方が遥かに早く体得できます。三次元のものは三次元で学ぶ方が早いのです。


第三に、二元論的ではなく、あえて専門性を限定せずに育成するという点です。

近代西洋のものの見方は二元論が主流ですが、日本古来はそのような姿勢を嫌ってきました。近代日本を代表する哲学者西田幾多郎は、古代日本から通底する物事の捉え方を「己を空しくして物を見る、自己が物の中に没する」ところにあるとして、色即是空空即是色、一切唯心造、一切一切衆生悉有仏性、知行合一などなど古くから大切にされている考え方を哲学的根拠に説明し、精神と物質、主観と客観、内と外、個体と普遍、理想と現実、理論と実践などを区別せずに捉える姿勢は、西洋の考え方と異なる部分の一つであると言っています。

確かに、日本では伝統的に精神的なものと肉体的なもののを分けず、渾然一体と発展してきました。武道も芸道も宗教も、内なる世界と向き合うという点で同じ意味をもち、修業というのは内なる世界と向き合うことなのだと思います。
こういう修業はカリキュラム的な方法で育成することは困難です。
そのために技の伝承には師匠と弟子という形をとって密接な間柄で弟子の習熟度を総合的に捉えて時間をかけて育成します。ですから、師匠としても弟子をとることに慎重で、門戸自体も狭かったのです。

また組織を集団で運営するという方法をとるのも、二元論にとらわれない顕れと考えることができます。長唄など大勢での合奏でも、指揮者はいません。立て三味線などリーダー的存在がいるだけです。能楽や歌舞伎など日本の伝統演劇では、演出家はいません。全員参加で問題に対処します。ですから、当然ながら育成段階でプレイヤーと集団を纏める人とを分けることはありません。
武道でも、将校と兵隊とを分けて育成しません。初めから将校兼兵隊を育成し、適正や能力の開花に応じて自然と道が分かれていくようになっています。

対照的に、西洋では一般にマネージャーとプレイヤーを育成段階から分けて教育します。
例えば、指揮者と楽団員、演出家と役者、経営者になるべきMBA保持者と専門職、将校と兵隊など・・育成段階から分けるので合理的に専門性を高めることができます。
西洋式と通常考えられているカリキュラムによる教育は、富国強兵の一環で学校教育や兵隊教育などに有効であるとして日本に入ってきましたから、プレイヤーを育てるための方法であることが多いです。ですから、門戸が広く、大人数を一度に一定のレベルにまでもっていくことを得意とするのです。育成目的がそもそも違うのです。

ですから、日本の育成方法の場合、兵隊でも将校たる心得は学んでいますから、全員が全体をみる心得はもっていますので、将校が参戦できなくなってもすぐに他の者がその役割をとって変わることもできます。
それを歯車と表現することも可能かもしれませんが、日本では現代の会社組織においても少し前までは、何でもできるゼネラリスト(総合職)を育成してきました。歯車という言葉は惨めな響きがありますが、もしも、西洋の兵隊養成システムと同じシステムだったとしたらどうでしょう。兵隊として育成された人にもしも将校の素質があったとしても、将校としての教育を受けていないので将校の仕事に就くことは難しいです。
それを考えると、日本のゼネラリストを育成する方法は全員に全能力を磨くチャンスがあり、流動性が高いので才能があれば適材適所が適う仕組みである、と考えることはできないでしょうか。



日本古来の感覚が二元論に縛られないという話ですが、それが江戸時代300年の平和を維持してきた一つの要因とも思えるので、今の時代のヒントになるのではないか、と思い、余談ですが、一例をあげさせて頂きます。

例えば江戸時代では日本の封建制は西洋に比べて比較的緩やかでした。身分や職業の流動性はある程度確保されていましたし、土地の権利関係についても、領主も百姓も共に土地所有者だったのです。領主の土地を百姓が借りていたのではありません。百姓にも土地の私有が認められていました。それに加えて村も村民全体での共有という形で主体的に土地にかかわっていたのです。
ですので、「割地(わりち)」というシステムも可能でした。何年かに一度くじ引きなどによって、村人たちが所有地を交換するのです。それは洪水などの危険負担を均等にするためのシステムで一軒がずっと不利な状態にならないようになっていました。また、限られた資源を永続的に使うために村内の山野の入会地の利用は村の共有となっており、村でルールを定めて使っていました。領主が決めていたのではありません。 (主に「百姓たちの江戸時代」渡辺尚志著による)
一見わかりにくいシステムのように見えますが、一つの土地に複層的に権利関係が成り立ち一人の人が所有者としてある土地の上にあり、他の土地の上に共有者としてあることで問題を軽減してくることができたのです。このシステムも江戸300年の平和が続いた一助となっていたのだと思います。

そして、余談ついでに、日本の合議制は責任の所在がはっきりしない、と批判されることがよくありますが、二元化に縛られずに組織を集団で運営することが習い性になっているがためだと考えられます。意思決定の過程はわかりにくいですが、独裁という敵味方を生み出してしまう決定方法や、多数決という数の論理の横暴を避けることができるというメリットもあるのではないでしょうか。



西洋式といわれる育成方法も日本古来からの育成方法も、それぞれ目的も背景も異なるものですから、目的、長所短所をよく考えたうえで、どういう育成方法を採るべきか判断し、使い分けることが大切なのではないかと思います。

西洋の考え方も東洋の考え方も優劣をつけるべきものではなく、ましてやどちらかに統合されるべきものでもなく、それぞれ補い合いながらやっていくのが、この世界にとって最もバランスのいい方法なのではないかと考えています。

2014-7-5

従順・勤勉・愛徳

従順・勤勉・愛徳

愛着をもって受け入れた環境で、努力して得た物を、全て差し出すってことかな?


従順・勤勉・愛徳」それが私が通っていた学校の校訓でした。
でも、最初の「従順」にはとても抵抗がありました。何だか理不尽なことにも物言わず従わなくちゃいけないような感じがして、この言葉が嫌でした。

それが、先日、NHKの「百年インタビュー」で哲学者 梅原猛氏の回を見ていましたら、仏教の道徳は「布施・精進・忍辱」とのこと。
それって・・・どこかで聞いた三つの言葉に似ている・・・と校訓のことを思い出しました。

もしかして、
布施=愛徳、精進=勤勉、忍辱=従順、ということではないかしら?
とするならば、

「愛徳」は「布施」だから、人の為に施す。ということは自分に出来る事は惜しまず出来る限り行うことでは?
「勤勉」は「精進」だから、努力をすること。
そして嫌いな「従順」は「忍辱」だから、辱めに耐える。ということは、受け入れて我慢することではないだろうか?
と考えたら、とても素直に「大事なこと」と思えるようになりました。


「勤勉」(精進)は、努力することなので、いつも怠け心が出ると、「いかん、いかん、努力しないと結果はでないぞ」と自分を鼓舞する時に思い出してはいます。


でも、「愛徳」(布施)は難しいです。「施す」と思うと自分もいい気分になりますから、自己満足のために実践できるでしょうが、「惜しまず」というのは難しいです。今、私はこの「惜しまず」と戦っています。
人様に何かをお教えする時に、ちらりと話す内容を調整してしまうような発想がよぎったりします。お教えすることを小出しにしてしまいそうになってしまうのです。
でも、知識も人の出逢いも何もかも、握ってはいけない。手放して循環させなくてはいけない。自分の持っている全てを差しださなければ、新たに何も入ってこない。
私は死んでいくのだから、私が握っていたら私の中だけで終ってしまう。明日死んでもいいように、持っている全てを差しだそう。
といつも自分に言い聞かせています。捨てるのは勿体ないですが、人に渡すのは勿体ながってはいけない。一日も早く、言い聞かせる必要がなくなるようにしたいです。


そして、「従順」(忍辱)は遥か彼方です。受け入れて我慢すること。我慢を我慢と思っているうちはきっと駄目なんでしょうね。
木々や草花は自分が一生を過ごす場所を変えられないし、そんな一生を受け入れて精一杯生きているように見えます。きっと理想はそういう姿なのでしょう。

何年か前からたまにですが、恩師が外出なさる時にお宅にお留守番に行くことがあります。恩師の御主人様はくも膜下で倒れられてから、人工呼吸器や胃ろうになさっていたのを、奥様(恩師ですが)の努力で人工呼吸器が外れ、胃ろうが外れて口から食事がとれるようになりましたが、四肢麻痺で御自身のお顔に蚊がとまってもそれを払うことさえできません。その御主人様と一緒に数時間お留守番するのです。片目も失明状態ですし、言葉を発しにくいので、思うように話ができません。それでも、その人生を「受け入れて」いらして、幸せそうに暮らしていらっしゃいます。
「受け入れる」って凄いです。私が恩師や恩師の御主人様の立場だったら、お二方のようにできるだろうか、といつも思います。
小さなことでも不満に思ったり、愚痴を言ったりしているのに・・・。

でも、この前ちょっと思いつきました。
「受け入れる」のはまだ私には難易度が高いけれど「愛着を感じる」のならできるかもしれない、と。
本当はいっぱい選べるはずなのに、これになっちゃった、から不満がでるのかもしれない。
本当はどうかはしらないけれど、これになっちゃった、から一緒にやっていこう、だったらどうかな。

そう思ったのは、昔の人の着物の話を友人にした時です。
昔の人は特に町民はそう何枚も着物を持っていたわけではなく、一枚の着物を暑くなれば裏を剥いで単衣にして、寒くなれば裏をつけて袷にして、もっと寒くなればその間に綿を入れて、古くなれば蒲団の表や座布団にして、もっともっと古くなればハタキにして・・・と着たきり雀でやっていた。だから、着物はその人のトレードマークみたいな物で、同じ様な着物の人を見るとその人をふと思い出したりした、という話をしていた時です。
気に入った物を際限なく手元に集めてどれとも縁が薄いまま暮すよりも、そこそこ気に入ったもの、まぁ縁のあった物とずっと関わっているうちに自分の匂いもついて歩み寄ったりしていく方が何だか魅力的に思えるなぁ、と。それは物だけではなく、人にも言えることだよね、と、そんな話をしていた時です。
それは「愛着文化」なんじゃないかなと話をして、はたと思いました。
木々や草花もそうしていることを考えると、そうやって暮す方が自然の理に適っているんじゃないかと、そうすることができるようになれば、きっと心身共に無理なく暮らせるのではないかと。

だから、「受け入れる」って思うと身構えてしまうけれど、折角だから「愛着を感じよう」と思うと少しはハードルが低くなって私でも少しはできそうな気がします。



ということは「従順・勤勉・愛徳」、これは「愛着をもって受け入れた環境で、努力して何かを得て、それを全て差し出す」ってことなのではないだろうか。

卒業して三十年して、やっとわかった(気がする)校訓の意味。
もしかして違うかもしれないけれど、今はそういう意味だと思って、出来る限り自分に言い聞かせていきたいと思います。

ほんと、30年もかかって・・・私は成長が遅いんだなぁ・・

2014-11-15

手縫いの浴衣

手縫いの浴衣

一枚の浴衣を長く着るために


「手縫いの浴衣」って実は和服は全て手縫いが原則なので、手縫いなのは当たり前なのですが、最近は背縫いをミシンでというところも増えてきたようです。私も日本橋の百貨店でミシン併用仕立てを勧められたことがあります。

確かにダーッと160cm程ただ真直ぐ縫うのはミシンだと楽に早く縫えるので、私も一時ミシンを買おうかとも思いましたが、自分で縫った浴衣を自分で着てみてやはり手縫いであることには理由があるのだということがわかりました。



まず着心地が柔らかいということです。
そして、手縫いだと長く着られるということです。

着物はゆったり着付けても、お尻の辺りはキュッと体に沿わせます。
座ったり歩いたり、動くとお尻の辺りはやはり負担がかかるので、ピッとほつれてしまうことがあります。

プチっという音と共にお尻の辺りの糸が切れる。「あ、いけない」一瞬ヒヤッとします。
でも、大丈夫。背縫いは二重に縫ってあるので、下着が見えてしまうことはありません。
そして、またそこを縫い直せばいいのです。糸自体が弱くなっていればあらためて背縫いを縫い直す。

でも、それがミシンだったら、糸が切れるだけでなく生地まで傷んでしまうおそれがあります。そうなると、損害は甚大です。



なるほど、だからミシンが入ってきても和服は全て手縫いのままだったのかと、合点。



浴衣は普段着にできなくなると、対丈にして寝間着にしたり、子供用に仕立て替えたり、最後は雑巾になったり、オシメになったり・・・。その昔は勿論お風呂着でしたが、レインコートがわりに雨の日に羽織ってたという話もあります。そうそう、飛行機整備の方は浴衣地の端切れをとても大切に使われるようです。油の含みが最高だとか。

そんな風に一枚の浴衣をそこまで使い倒せたら、浴衣地の反物が高いのも納得がいきますし、なるべく生地を傷めないように大切に着ようと思いますよね。


あ、あと長く大切に着るためにはアイロンは最小限に控えたようがいいようです。

以前、開く時にパリパリと音がするくらいにパリッと糊が利いた浴衣が「正しい」と思っていたことがありまして、浴衣を洗う度に糊をつけて干して、乾いたら念入りにアイロンをかけてピッチリ仕上げていた時期がありました。

お稽古場で年配の姉弟子に「あなた、いつもパリッとした浴衣をお召しだけれど、アイロンかけていらっしゃるの?」と聞かれ、自信たっぷりに「はいっ」と笑顔で答えたら、「あらぁ~」と驚かれてしまいました。
キョトンとする私にその方がおっしゃるには
「私達の時代は浴衣はアイロンなんてかけるようなものじゃないと思っていたけど・・・・。」
「え?じゃあ、クリーニングにお出しになられるんですか?」
「まさか!」
「えー、じゃあ、どうしていらっしゃるんですか?」
「洗ったら、糊かけて、干しておくの。折目を綺麗につけたい時は寝押しするだけよ。」とのこと。

そんなんでいいの?

試しにやってみました。
結果、干す時にちゃんと伸ばしておけば寝押ししなくても綺麗に仕上ります。
が、生地によります。一枚だけどうしても袖口の縫い目が皺になってしまって冴えないのがありましたので、それだけはアイロンをかけ続けました。

そして数年後・・・・

アイロンかけ続けた浴衣は見るも無残。肩山や衿など折目が白くなってしまって袖口の山なんか傷みが激しくて破れ気味に・・・。生地の毛羽立ちも激しい。
対してアイロンかけない組は同じような時期から同じような活躍回数の浴衣でも、綺麗で気持ちよく着られました。

あ~、日常的にアイロンをかけるのは本当に駄目なんだ、と痛感。

浴衣は手縫いで、糊付、ノーアイロンがお勧めです。
お気に入りの浴衣が駄目になるのは悲しいですものね。



ということで、稽古会の無料貸出浴衣も反物を購入して自分で縫っています。
皆さんの着心地を想像しながら縫うのは密かな楽しみでもあります。




勿論、全て手縫い、糊付、ノーアイロンで。

2015-3-12

わかり易いということの弊害

わかり易いということの弊害

わかり易いって本当にいいこと?


説明がわかり易い」とよく褒めて頂けます。でも、素直に喜べませんでした。「本当にそれでいいのかな」何か引っかかっていました。

なぜだろう・・・
最近ようやく考えが纏まってきました。

何かを他人に理解してもらい易くするために「わかり易く」するのには、3つばかり方法があるように思います。


一つに、自分が複雑な言葉や体験で理解したことを的確な少ない言葉や行動で説明すること。
これは、一番いい「わかり易」くする方法です。素晴しいことだと思います。
でも、この方法がどんな事柄にも使えるわけではありません。


もう一つに、その分野の知識や理解力に差がある人達を対象とする場合に、知識や理解力の低いレベルに合せることで「わかり易」さを実現する方法があります。でも、これはしてはいけない分野がある方法だと思います。行政など住民サービスの場合はどんな人にもわかって貰わなければいけないのですが、そうでない場合には慎重になるべきです。何かをお教えするという場合には、教えられる人の伸び代や努力の機会を奪ってしまうことがあります。表現するという場合は、表現者の表現自体を捻じ曲げてしまうことになります。ある作家が著書の中で、編集者に「その言葉は最近はあまり使われないから平易な言葉に変えて下さい」と言われたがそれではニュアンスが変わってしまう、と嘆いておられましたがそれなどはこの例だと思います。


そして、一番気を付けなければならないのが、複雑な物事をシンプルにすることで「わかり易」くすることです。シンプルにするということはとても正しいことで美しいことのようですが、それは何かを省いていることにほかなりません。しかし省いているものが無駄なことばかりとは限りませんから、場合によっては「雑」になっている可能性が常にあります。それはとても恐ろしいことです。「雑」になることで見落としてしまうこと、失ってしまうことの諸々が、一つ一つは小さなことでもそれらが存在しているからこそ、「味」があったり、「雰囲気」を形づくったり、「深み」がでたり、何より「本質」の一片であったりすることがあります。
ですから、シンプルにすることで「わかり易」くする場合には、常に「雑」になっていやしないか、チェックする、もしくは、シンプルに伝える場合には必ずつまらない諸々の事を加えた形で補うことをセットにする、等の工夫が必要ではないかと思うのです。

「わかり易い」と仰って下さった方は本当に褒めて下さったと思うので嬉しいことではあるのですが、何か大切な事を落してはいないか、「雑」になってはいないか、お教えする方の成長の機会を奪ってはいないか、常にチェックしなければいけない、と自分に言い聞かせています。

私なんかは特にやるべきことが沢山あるだけで、つい「雑」になりがちですから、本当に気を付けないと・・・。

2017-2-14

謙虚さと自信

謙虚さと自信

不安とのたたかい方のヒント


今日、知人の陶展を観に都内のとあるギャラリーを訪問しました。ですが知人は所用で不在だったため、初めてギャラリーのオーナー様とお話をする機会を得ました。
素敵な雰囲気のその女性は、気さくにいろいろと問いかけて下さり、つい私も本音がポロリ。
「いえいえ、でも私の力だけではありませんから。応援して下さる方々のお力なんです。」
「でも、世間はそんなに甘くありませんからね。応援する相手を絶対に選んでいますよ。」
「じゃあ、自信をもってもいいんですね。」
「そうです。謙虚さは素敵だけど、自信のない方は魅力ないですよ。」
はっと目が覚める想いがしました。
『自信のない人は魅力がない』
その方は続けます。「素敵な先輩方って皆さん自信に溢れていらっしゃる方ばかりじゃありませんか。」
確かにそうです。
「時々、私こんな感じでお教えしていていいのだろうか、って不安になるんです。」
「時々ならいいの。」
(いいんだ・・・)

謙虚さとは別の物が自信のなさというものが時々私の中に首をもたげてきます。
稽古会を主催し始めてから、ずっとそうでした。「師匠やお茶や他のお稽古事でご縁があった先生方と私は、贔屓目にみてもかけ離れている」と。こんな程度の人間で人様から「先生」と呼んで頂いて、物事をお教えしている事が畏れ多くて、通ってきて下さる方に申し訳ないような気持ちになります。
でも、その負い目の正体は謙虚さなんていう美しいものではなく、嫌われたくない、凄いと思われたい、という我欲からきているものなのかもしれません。
自然体の自分でいることしかできないから「そうあろう」と頭では思ってはいても、「こんな私じゃガッカリさせてしまうのではないか」と思ってしまうのです。
心の中のそのせめぎ合いの正体に気付いてから「嫌われたらそれは『合わない』ということだから仕方がない」「凄いと思われたいという気持ちを捨てれば、本当に自然体になれる」と自分に言い聞かせてきました。そして少し楽になりました。
でもやはり、時々「こんな風でいいのだろうか」という気持ちになります。

そこに『自信は魅力』という言葉を頂いて、はっとしたのです。
自信とは、自分を信じること。自分を信じるってどういういうことか、きっと私は履き違えていたのです。
自信は「私は成果を出せる」ということじゃないんです。「私と私の周りの力ならきっとできる」ということなのだと気が付きました。自分を信じるというのは、どんな困難なことがあっても「きっと乗り越えられる」という前に進む力なんだろうと思います。確かにその推進力は魅力的です。

自分の有りよう以外にも、不安になることは沢山あります。滅入りそうになることも、苛々してしまいそうになることもあります。でもそれはきっと自分を信じること以外に解決策はないのかも知れない、と最近思うようになりました。
「まだ結果が出ていないことを悩むことはやめよう」「まだ自分に直接降りかかってきていない事柄に勝手に色をつけてアレコレ思い悩むのはやめよう」と何年か前に心に決めたはずなのに、気が付くと漠然とした不安を抱えてしまったりしていました。
それは、きっと自分を信じていなかったから。自分を信じるということは、自分の才能や能力を信じることじゃないのかもしれません。自分を応援してくれる人の気持ちを信じる。自分を見守ってくれている人の力を信じる。ひいては神様やご先祖様という存在の愛を信じる、ということなのかもしれません。 自分をこの世に出してくれて、慈しんでくれて、思いかえせばささやかだけど「奇跡」と思えるようなことも確かにあった。だから、きっと神様やご先祖様は私が一生懸命である限りはきっと何かを教えてくれる。私が必死であれば見守ってくれている人は必ずいる。私が誰かを応援している気持ちはきっと通じるし、それは廻り戻ってきて私に触れることもあるに違いない。
だから「自信を持つ」ということは、自分と、目に見える見えないあらゆる自分を取り巻く人々の気持ちを信じる、ということなのだろう。私は偉そうな事を言っても、人の気持ちや目に見えない存在の気持ちをそこまで信じていなかったのだと思います。

目に見えない物を信じるのって難しいですね。でも、それがなければ自分を肯定するのは本当に難しいのだろうな、と今日あらためて思いました。

自分一人で歩いているわけじゃない。誰かと僅かずつでも重なり合って歩いている限り、その方々の自信のためにも、自分の不安は減らして自信をもって日々過ごさないと。

時々なら、不安になってもいいみたいですけど。

2017-6-25

「呼吸」にまつわるいろいろ

「呼吸」にまつわるいろいろ

「呼吸」を合わせる文化

【呼吸で表現】
舞とバイオリンのコラボの可能性についてご相談頂いたのですが、その中で「他国の音楽でも振付はできますが、出来る限り心臓のリズムを刻まない音楽が好ましい」とお話しました。
日本の音楽はもともと呼吸をベースにしたものなので、心臓のリズムをベースにしている音楽では非常に舞い難いです。分かりやすくいうと、心臓ベースはメトロノームのように一定のリズム、拍を刻むのに対して、呼吸ベースですと、ちょっとした感情の変化で揺らぎ、濃厚な空白いわゆる「間」が生まれます。
その「間」が命ともいうべきもので、昔から『「間」は「魔」に通ず』と言われた通り、その「間」次第で舞や演奏が生きたり死んだりします。
舞を観ている方、演奏を聴いている方は、無意識に演者の呼吸にご自身の呼吸を合わせることで、同じような感情を共有するのではないか、と思います。

昭和大学医学部の本間生夫教授によると、呼吸を司る部分が脳には三か所あり、代謝性呼吸を能幹が、随意呼吸を大脳皮質の運動野が、情動性呼吸を扁桃体が司っているそうです。心の表現において、外的表象を重んじる西洋の女優の演技中の脳の状態を調べると大脳皮質の運動中枢が活動していて、情動的な部分は動いていなかった状態で、本人も「悲しくないけれど泣くように演じた」と言っていたとのことです。片や内的表象を重んじる日本の能の「隅田川」のクライマックスでは表情や体の動きはさほど変化は見られないが、呼吸が変わっていた。調べると扁桃体が活発に動いており、その脳の活動は呼吸に同期していたとのことです。
この事を聞いて、もしかして、仕舞ではそのような感情になるような呼吸で舞うように振付けがなされているのではないか、と思う様になりました。フリの呼吸を正しく舞えば、振付けた人が表現したい感情に自然となるようになっているのではないか。だから、特に意識的に「演技」をしなくても、心をニュートラルに保ちどんな心にもなれるような状態にしておくことが肝心なのではないか、と思うのです。
そして、その呼吸に観客が同調することで、観客の心もそのように動く、そういうものなのかもしれません。


【信頼と尊重、自主性の文化】
その「呼吸」を「合わせる」ということは、表現者と受け手との間だけではなく、表現者同士でも大切なことなのです。
純邦楽ではどんなに大勢で演奏する時でもリーダー的な存在の人はいますが指揮者はいません。お互いの呼吸で演奏します。日本古来の演劇、能や狂言、歌舞伎でも、演出家はいません。江戸時代の新作でも演者それぞれが自分で判断して演じます。芸能だけではありません。相撲の取組でも行司は立ち合いを見守るだけで、力士同士が呼吸を合わせなければ始まりません。
このように「呼吸を合わせる」ためには、相手を尊重しなければできません。相手を信頼しなければ始まらないことです。お互いを尊重して信頼してはじめて物事が進められるということが、社会の基礎にあったといえると思います。
(話はそれますが、以前「日本のビジネス社会は契約書を交わす習慣がないのでグローバル社会で遅れをとっている」と聞いたことがありますが、口約束でビジネスが成り立っていたのはまさしく相手を信頼してのことで、それが故に契約書等々にエネルギーを割かない分スピーディにビジネスが回すことが出来、そのうえ相手の信頼を裏切らないように細心の注意を払ったという効果もあったのではないか、と思います。)
また、「呼吸を合わせる」ということは統制する人間の指示を受けるわけではないので、当然自分で判断して能動的に動くことになります。これは社会の末端まで浸透していたようで、明治初期の女中や丁稚に至るまで、誰かの指示で受身で動くのではなく各自の判断に任されていた部分が大きかった事が、在日外国人によって驚きをもって手記に数多く残されています。寺子屋の授業も勉強の内容は一人一人異なっており、職人の子は職人になるべく、農家の子は農業に役立つ事を、それぞれ別の教科書で、各人の進路や進度に準じて指導を受ける、一対一の指導を受けていたということができます。舞の稽古は今でもマン・ツー・マンです。武術も元々はマン・ツー・マンだったと聞いています。マン・ツー・マンでは、本人が能動的に何かをしなければ何も始まりません。自分の判断で動くということが当たり前だった、遣り甲斐を感じ易い社会だったと言うことが出来ます。

相手を信頼し、尊重し、自主的に動く「呼吸を合わせる」習慣が社会にあったというのは、きっと島国で海に守られていたことで有史以来他民族や他国に攻め込まれた記録が数える程しかない、ということが影響しているのだと思います。それは地続きで常に攻められる脅威と共に生きることを余儀なくされている民族とは事情が異なるが故の産物ではないかと考えています。内田樹氏は著書の中で、島国で逃げ場がないからお互いに滅亡を避けるために和を以て貴しとするしかなかった、というような趣旨の事を述べられておられますが、それも一理あると思います。
最近思うのは、グローバル化が進んで地球が狭くなった昨今、どこかの繁栄のためにどこかを搾取することは自らの体の一部を生かすために違う一部を犠牲にするようなものです。世界が一つの島国になったとも考えられる今だからこそ、極東の島国で培ってきた物事の捉え方、考え方は他の文化になにがしかのヒントとしてもらえるのではないか、と思うのです。
地唄舞、上方舞は、地方と舞い手が一対一もしくは二対一と少人数でのセッションとなるため、互いの呼吸に影響されあっていることが鮮明に浮かび上がり易い性格をもっています。
日本古来の物事の捉え方、考え方を伝えるために、舞をツールとして活動をしていきたいという夢を持って活動しています。


【阿吽(あうん)】
「呼吸を合わせる」というと、「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉が浮かびます。阿吽というのは、神社に左右に鎮座している狛犬やお寺の山門の左右で睨みを利かせている仁王像などの一方が口を開き、一方が口を閉じている、それです。「阿」は口を開いていて、「吽」は口を閉じています。
10年程前にヨガの教室に行った際、レッスンの前に「オーム」と唱えました。その時の説明では「宇宙の始まりと終わりを表しています」ということでした。
「阿」は口を開けているので、きっと息を吐いているのだと思います。「吽」は口を閉じているので、きっと息を吸っている。鼻で吸って口で吐くのは自然ですし、「呼吸」という言葉自体、吐いて吸ってという順番です。なので、きっと「阿」は宇宙で「吽」は自分の中で、唱えることでそれらを繋ぐのではないか、と思っています。
その後、ヒンズー教でも瞑想の前に「オーム」と唱えることを知りました。ヒンズー教のサンスクリット文字は密教の梵字なので、阿吽とオームが同じであることは容易に想像がつきます。キリスト教でお祈りの最後に唱える「アーメン」(あれあかし、そうなりますようにという意味だと教わりました)やイスラム教でも「アミン」というと聞き、それらはきっと同じなのではないか、ということは呼吸と宇宙が繋がっているということはきっと真理に近いのでは!とちょっと興奮しました。


【空白も含めて音楽】
日本の(多分日本だけではなく太平洋の島々や他の地域にも同じような音楽文化を持っているところは多いと思いますが)音楽では「間」が大切と書きました。日本人は風鈴の音や虫の音(ね)も鑑賞に値するもの、音楽のようなもの、として感じていますが、欧米ではそうではない人が多いようです。これはどうやら脳自体が違うことが原因のようです。中村明一氏著の「倍音」という本に詳しく書いてあります。
それによると、脳が違う原因は環境が原因で、石に覆われている西洋は音が響き、反射で高い方の倍音が吸収されて聞き取りにくいから、基音が主体の音楽が発展するし、言葉も子音が主体になり易い。日本は湿気が多く木と紙の建物で音が響かないから、高い音や倍音に敏感で、倍音を多く含む音楽や言葉が発展したとのことです。

鑑賞教室などの解説の原稿は毎回作成するのですが、それを書いている時にふと気づいたことがあります。
「訪れ」という言葉がありますが、それはもしかして、聴覚からきた言葉ではないか、ということです。
日本は一定の範囲に生育している植物の種類が非常に多いという特徴があると聞いたことがあります。多様性にみちているらしいのです。とうことは、色々な形状や性格の葉が落ちる。それらが分解されていくにも時間差や形の差が出る。だから地面はフワフワの土に腐葉土なる。ある程度町になって踏み固められた場所ならいざ知らず、源氏物語の夕顔などの住処を想像するに、フワフワの地面の場所に住んでいたら、訪問者を知る手立ては足音ではなく、葉っぱが擦れる音なのではないか。「葉擦れの音」を聞いて、恋しい人が来てくれたのではないか、と期待に胸弾ませたり、今日来るか明日来るかと耳を澄ませたり。だから「音擦れる」→「おとずれる」になったのではないか、と思ったのです。
とすると、日本人の聴覚はフワフワの腐葉土ゆえにとても敏感だったと言うことができると思います。日本語には雨の名前が何百もあるといいます。「霧雨」「篠突く雨」「小糠雨」「氷雨」「夕立」どうでしょう、名前を聞いただけで雨音が想像できませんか。そういう感覚で耳を澄ませて暮していたら、何の音も聞こえない時でも、そこにかすかな空気の揺らぎを感じ取れるような気がします。
「間」という空白。けれど、ただの空白ではなく、意味をもった空白。濃厚な空白。雄弁な空白。それも鑑賞の対象として音楽の一部をなすのは、とても自然なことのように思えます。


【母音と子音と音楽】
中村明一氏著の「倍音」の中に環境と言葉の子音、母音の多さが関連している、という説明があります。それを読んでから、子音と母音が気になるようになったのですが、そこで疑問に思ったのが、「では、何故イタリア語は母音が多いのだろう?」ということです。その謎は未だに謎ですが、一つ気付いたのは、「イタリア歌曲は母音が多いから朗々と歌うのか!」ということです。子音や英語の「er」のような発音では朗々と明るく伸ばすのは難しいです。
ということは、もしかしたら、子音の多い言葉の地域は歌曲よりも器楽曲が発達して、母音が多い言葉の地域は器楽曲よりも歌曲が発達してきたのでは?という推測です。これは単なる思い付きなので、楽しみながら確認をしていきたいと思います。


【方言の発声】
呼吸について考えていると、発声にも考えが及びます。呼吸が変ると発声も変ります。最近、残念に思うのは方言毎の独特の発声が失われているのではないか、ということです。
私の祖母は日本海に面した町で生まれ育ちました。冬は海が荒れて雨風も強いですし、水が音を吸収するのでしょう、とても声の大きな人でした。祖母の使っていた言葉の響きが懐かしくて、同じような言葉を聞くと思わず味わうのですが、でも山の地域の人の言葉は似てはいても何かが違うのです。もしかして、発声が違うのではないか。そうやって気にしていくと、各方言はそれぞれ独特の発声とセットになっているのではないか、と思うようになりました。だから、違う地方の人がイントネーションや母音子音を真似しても、すぐにバレてしまうのではないか。
きっと昔は、言葉が一つの身分証になっていて、全く違う言葉を話す人は「うんと遠くから来ている人」として丁寧に接して珍しい情報を貰ったり、ちょっとだけ違う言葉の人は「すぐ近くの人」として用心したり、言葉が判断材料にもなっていたように思います。
江戸言葉、いわゆる下町言葉にしても口先だけ真似してもそうはならず、発声が違うから早口でもキッチリハッキリして聞えるのではないのでしょうか。
方言を残すという運動は各地で起きていますが、発声方法は文字やデジタルではなかなか残り難いものなので、何とかならないのか、と口惜しく思います。


【老いると生いる】
つまらないことですが、備忘録として。
日本海に面した町出身のその祖母に、生前「毛がおいてきたすけれカミソリ買ぁて来てくれ」と言われました。「え?毛が老いる?どういうこと?」即座にはわかりませんでしたが、「生茂る」の「生いる」なのだと暫くしてわかりました。「毛が生いる」なるほど、「生いる」とは「生茂る」にあるように、伸びる、成長する、という意味なのでしょう。ということは今「老いる」という漢字をあてている言葉も元はそういう意味に違いありません。
「老いる」ということは「成長している」ということなのです。

「言葉が無くなると文化が亡くなる」と言います。方言でもその言葉を若い人が使わなくなると、その言葉がもっているその土地ならではの微妙なニュアンスは消えてなくなります。その土地の人が書いた物や表現を後世の人が正確に知るよすがが無くなります。

方言を持たない私だから方言に憧れや郷愁を感じてしまうのでしょうか。ただ、文化が均一化していくのはつまらない、個性が無くなっていくのは豊かさが失われてしまうような気がして仕方がないのです。


最後は呼吸とは何の関係もない話までしてしまいました。長い呟きにお付合い下さいまして有難うございました。

2017-7-2